人を動かすにはまず自分がわくわくする
自分が思いっきり楽しむ
自分が楽しんでいる姿を見せる

悔しいがこれには心底納得がいく
マネジメントの仕事に携わって
どうやったら人が動くか
どうやって人を管理するかを考えてきた

仕組みを考えたり
褒美を考えたり
罰を考えたり
環境を変えたり
道具を変えたり

コミュニケーションを変えるために
プレゼンを学び
心理学を学び
コーチングを学び
NLPを学んだ

もちろんこれらは無駄ではなかった
「糧」となり今も自分の中で脈々と生きている

しかし
これらは所詮「小手先のテクニック」
人を思うように動かして利用する
という感じがどうしてもしてしまう
いかに楽して動いてもらうか
という頭でっかちな範疇を抜け出せない


次に人間関係を考えた
テクニックの土台になるのは
その人のあり方と信頼関係
即効性がないが効果は高い
ただこれは一言で言うのは簡単だが行なうのは難しい
動いてもらうために信頼関係を築くというのも
なんか順番が違う気がする
王道は王道なんだが
自分らしくない
あり方と信頼関係は
「結局戻ってくるところ」だと思う

そうなると自分がとことん楽しむ
楽しそうな人をみて自分もやりたくなる
結果一緒にやる
これは動いた人も自分から動いているし
一緒にやっている人も楽しくなる
「人を動かす」というおこがましさが存在しない
シンプルでナチュラルなやり方

考えてみると
これを実践していたことがあった

中学生のとき
気になる子がいて
といか好きな子がいて
(書いていてかなり恥ずかしい。。。ただなんか淡くて甘酸っぱくてたまんないっす!)

話したことはなくて
ただただ遠目に見るだけだったけど
そんときやっていたことがこれだった

その子の視界に俺が入るとき絶対は笑っていようとした
めちゃめちゃ楽しくて楽しくてしょうがない
っていうのを見せ付けていた(実際に見てたかどうかはわかんないけど・・・)
まあ実際に楽しかったていうのもあるんだけど
楽しそうにしてれば目立つし
思いっきり楽しくてワクワクしているところ
たくさん見てもらえるようにした

その結果・・・
告白したらOKになっちゃうんだもんな!
この効果絶大すぎ!!
笑っているところを見せる
楽しいところを見せる
これをやっていたから以外には考えられないね

いや~
懐かしい!楽しかったな~
楽しさは人を惹きつける
楽しさは人を輝かせる

っしゃ!楽しくなってきた♪
恥ずかしさと懐かしさと切なさと楽しい思い出で
胸が一杯です☆

意識には顕在意識と潜在意識の二種類がある
顕在意識は全体の3%、潜在意識は全体の97%にもなる
自分が今知識として認識していることは全体の3%にすぎない
顕在意識での話でしかない
なんてせまい世界での話なのか
自分が生きている人生もこの3%の意識での人生にすぎない
普段認識できることは

前回書いた「答え」というのも潜在意識の奥深くに眠っているのだろう
理解する、わかる、知識を習得するということも
すべて顕在意識での話しにしかすぎない

顕在意識が悪いわけではない
ただ潜在意識にこそ知へのロマンがある

深く探求していく
心理の真理を追究していく
内省への旅をつづけ自分の意識の奥深くを漂う
そうすることで少しでも無意識に近づける

意識を活性化する知識ではなく
意識から無意識につながる道を開く知識を獲得する
少しずつ無意識とのアクセスが可能になる
暗号化されていたサインを解読していく

無意識の意識化
昔からの俺のテーマ
自分を知る
昔からの俺のテーマ
この2つのテーマは同じことなんだろう

俺の夢である世界一周もこのテーマに対する
一種の答えが具現化した象徴なのかもしれない

本を大量に読むようになった
これもテーマから湧き上がったことなのかもしれない

知識を獲得すればするほど
内省を深めれば深めるほど
無意識に近づいていっている気がする
以前よりも意識化できている
ただ同時に途方もない無意識の大きさと
一生知りえることのできない儚さと虚しさがある
そしてそのなんとも言えない虚無感のようなものが
さらなる知へと駆り立てる

知への欲求は俺の最大の旅かもしれない
小さい頃から「正しい答えを導き出す」教育をされている
学生のころは「いかに正しい答えに早くたどり着けるか」の競い合い
しかし、社会に出ると「正しい答え」なんて存在しない
頭をフル回転させ仮説を立て行動と共に検証し考察していく
初めから存在する答えに向かっていくのではなく
答えがあるかないかもわからない状態の中で前進して行くことが必要

というような一般論を言いたいのではなく
もっと深いところを考えてみたい

俺の思う答えというのは
そもそも答えになっていないかもしれない
見つけたところでそれが答えかどうかもわからない
つまり見つけたかどうかもわからない
俺の思う答えとはそういうもの

答えとは自分らしさ
答えとは幸せ
答えとは大切なもの
答えとは価値観

そんなようなものだと考えている

生きている以上
より良い人生を歩みたいと思っている以上
答えにはたどり着きたい

今までなされてきた教育のせいなのか
それとも無知のせいなのか

答えを外へ外へと追い求めてしまう
本を買うときそこに答えがあることを期待する
セミナーへ行くときそこに答えがあることを期待する
人との会話のなかでそこに答えがあることを期待する
何か環境がかわるとき、刺激をうけたとき、深い気付きがあったとき
そこに答えがあることを期待する

しかしそこに答えはない
「あなたの答えはこれですよ」と教えてくれる人もいない
もちろんこれらのことは無駄ではない
むしろ答えに近づくための近道だと思う
ただ、それだけでは答えにたどりつけない

答えとは外にあるものでもない
内へ内へと入った奥底にある

地球は一つの球体ではない
地殻からマントルから核へ
リソスフェア、アセノスフェア、メソスフェア、外核、内核へと
層になっている

核を中心として何層にも重ね合わせられる
核へといたる道程はたまねぎの皮をむいていくように
一枚一枚が薄くしかし何重にも入り組んでいる

答えも同じ
答えの周りをいくつもの層が覆っている
外側に探してもたどり着けない

外側で行なうことで意識を内側にむけなければならない
答えは外にあるのではなく中にある
そしていつもそばにある

答えはどこにあるのか
そう
答えはいつも自分の中にある