YahooとがGoogleみたいな機能が脳にはついている
検索ワードのところに言葉を打ち込んでクリックすれば
ヒットしたページがどんどん出てくる
なにか調べ物をしたりするときにすごい便利な機能
それと同じ機能がついている

例えば昔の思い出話で盛り上がって
「修学旅行のときに止まった旅館の名前なんだっけ?」
「う~ん・・・どうしても思い出せない」
とその日は終わるんだけど
その後全然関係ないときに
「そういえば旅館の名前○○荘だったな」
なんて思い出すことがある

これこそ脳の素晴らしい機能
ここに気付けているかどうかの違いは大きい
これはただ急に思い出しただけではない
「旅館の名前は何?」という質問をしたことで
それ以降脳はずっと旅館の名前を検索していたのだ
意識はしていなかったかもしれないが
無意識では寝ている間もずっと検索を続けていた

これは様々な場面で利用できる
脳は単純なので焦点を当てたものに対して動くという性質をもつ
焦点を変えるのが質問であり言葉である
「俺はツイてない」といえばツイてないことに焦点があたり
ツイてないことに検索を掛ける
「俺はツイてる」といえばツイてることに焦点が当たり
ツイてることに検索がかかる

それだけではない
前にも書いたように答えは自分の中にある
本当は自分がよくわかっていることが多い
それを探るためにも質問をする
「俺は将来なにがしたいんだろう」
「俺が大切にしたいものってなんだろう」
「もっと成長するためには何が必要だろう」
という質問をする
すると脳はその答えを探すために検索をかける
ここで注意したいのは
今挙げたような質問の場合は「これがあなたのやりたいことですよ」
とか「これがあなたの大切なものですよ」という
検索結果は出てこない
暗号化されていたり
包まれて出てくることが多い
そこにも気付かなければならなない
そのメッセージに気付くためには
検索を書けたら答えが出てくるというつもりで
待ち構えておく必要がある

これをもっともっとうまく使う
PCよりも優れている点として検索は同時に何個でも可能だということ
だから常に自分にとってプラスになる質問を掛けておく
オススメは夜寝る前
寝ている間は情報が整理されるので検索にかかりやすい
脳に質問をしてすぐに答えがでてこなくても
焦らず寝て待てばよい

答えは自分の中にあると信じ
脳は検索エンジンであることを真に理解すれば
質問をしてキャッチするだけである

脳にどんな質問をしたかは人生の質を決める
欲しい答えは脳に聞け

俺は極端な人間だと思う

やるかやらないか

じゃなくて

とことんやる徹底的にやるか

とことんやらない全くやらないか

のどちらか



俺を支えたものは「1番へのこだわり」

また俺の昔話になるけど


中学のとき初めての定期テストがあった

親や姉ちゃんにさんざん脅されて

「中学じゃ小学校の頃と違って勉強しなきゃいけないんだ」

そんな風に思ってそれなりにやった


そしたら自分でもびっくりするくらいの良い点だった

まあ周りができなかったから相対的に良いってだけだけど

俺の中で「俺って頭良いかも」というアイデンティティが生まれた

初めての三者面談

先に終わった友達から学年での順位を聞かされるという話を聞いた

俺も聞いたら

「2番です」

という答え


中学にあがるときに転向してきた奴が1番を取っていた

1年間俺は1番を取るためにやったけど

結局ずっと2番

2年にあがるときそいつは転校した

それからはずっと1番だった

(後々そいつにも勝つ実力をつけと俺は勝手に解釈してます)

1番という響きはずっと俺のモチベーションだった

同時に強迫観念でもあった

10番が11番になるのと

1番が2番になるのではわけが違う

1番は順位を落とせない

1番は1番であらなければならない

努力の末にまた1番をとってもそれは当たり前となる

ただひとたび順位を落とせばダメージは大きい

俺は勝手にそんな世界に自分をおいていた

最高で当たり前なのにそれを目指す

1番の宿命である

テストが終わるたびにホッとする

今回も1番でよかった

苦しかった


でも今思えばそれでよかった

1番への脅迫にも似た強い信念は俺のモチベーションになっていた

10番が9番になろうと思う想いとはステージが違う

1番になってなかったらあそこまで自分と戦おうなんて思わない

超 自分対自分の世界

そんな世界にいなかったら俺は努力なんてしなかったし自分との戦いのステージにも立っていないと思う

極端な人間だから

そのときはやらないという選択をしていたと思う

俺の上の学年にも下の学年にも飛びぬけて頭がいい奴がいた

でも俺の学年にはいなかった

マジ超ラッキー

そんな奴がいたら俺はこの感覚を味わえなかったし



でも俺は弱いから

高校へ行ったらもう1番じゃなくていいんだ

って重圧から開放されていた

それを望んでいた


最初のテスト

まったく勉強しなった

結果

1番じゃなかった

でも「周りの奴こんなもんなの?俺勉強してないんだぜ?」

って思った

自分が思ったより順位が良かった

「これだったら高校でも1番取れるかも」

「また俺は1番を取らなければいけないのか」

そう思った


目標を立てた

高校でも1番をとる

学校のテストじゃ結局取れなかった

でも俺は本当の実力が測れる模試の結果に焦点を当てた

高2のとき1番をとった

それからは圧倒的だった

他をよせつけなかった

中学時の越える

自分対自分の世界にどっぷりつかった

1番へのこだわりは俺をいつも鍛えてくれた

苦しくて辛いし

別に自分がそれでいいと思えば辞められるけど

そんな弱い自分と向き合い乗り越えていく

そして結果を出していく

校内順位のところに「1」という数字がでるときの快感

それがまた次のモチベーションになる


井の中の蛙だけど

それでいいと思う

大海にいて一番の味わいを知らないくらいだったら

井の中で1番を味わう


どんなコミュニティ、どんな枠組みであろうと

1番には1番たる所以、哲学、物語がある


1番へのこだわりが俺を常に常に押し上げてきた

1番へのこだわりがなければ俺は全然違う人間になっていた

1番へのこだわりが俺を創ってくれた


大学にいったらそんな指標もないし

ようやく本当の意味で1番の重圧から開放された

心地よかった

この4年間は今までの御褒美だと考えた

1番を得るために失ったものを得ようと思った


ただ6年間ですっかり染み付いていた

張り合いがない

自分がどんどんダメになっていくのを感じた

なんのために俺はやっていたんだろう

喪失感でいっぱいだった


俺は1番を目指したい人間なんだと受け入れられた

あの苦しさ、重圧、自分をとことんまで追い詰めていきそれを乗り越える

その中にこそ俺の生きる意味があると思った


今俺はドデカイ夢を持っている

理想のコミュニティをつくる

そこを1番の場所にしたい

どんな分野でもかまわない

どんなこじつけの範囲でもかまわない

もう一度1番を目指したい

言葉にするのは怖いけど言っちゃおう

日本一

世界一

をとりたい


この言葉はあまりにも重過ぎる

一番がとれそうもない現実から発せられる一番という言葉は虚しく響く

俺の1番理論でゆうと

1番は「ひょっとして1番をとれるかも」という状況から始まる

そこからが本当の戦いなのだ

今はそんな状況にない

だからまずは「ひょっとしたら・・」という状況を作っていく

そこからが勝負


いつになるかわからない

でも必ずとる

1番は虚勢や気合や根拠のない自信やポジティブシンキングで取れるような甘いものじゃない

1番ととるためには

根拠のあるゆるぎない自信

圧倒的な信念

自分と戦い続ける覚悟

考え抜かれた戦略

十分な資源

そして誰かが自分よりも上にいることがゆるせない

そんなシンプルかつパワフルな

わがままさ


これが必要



1番をとる

わがままであれ



しょうごっていう名前

めちゃめちゃ気に入ってます


たまに自分の名前が気に入らないって言う人や

人の名前を羨ましがる人がいるけど

考えられない


自分の名前が一番最高でしょ


俺の場合はめちゃめちゃ

気に入ってます


どこがっていうわけじゃないんですが

響きだったり感じだったりも最高です


以前カナダに行ったとき現地の人から

「Shogoってどういう意味が込められているの?」

と聞かれて分からなかった


親に聞いてみても

「画数で決めたから」

という答え


しょうがないから漢字辞典でしらべてみると

「尚・・・尊ぶ。重んじる」

「吾・・・われ。自分」


尚吾・・・自分を重んじる。自分を尊ぶ。


震えました!笑いました!

素敵過ぎる!俺にぴったりじゃん☆

最高の名前だなってもっと好きになった



ちなみに親に言ったら爆笑してました。。。

自分でつけたくせに。。。


もう名前の意味からして

俺は根拠のない自信をもたなきゃだめだなと思った

根拠のない自信を持つことに自信をもった

いや~尚吾って最高♪