罪深き者は
すべからく地獄へと送られ
永遠の苦痛を与えられ
たとえその罪を悔い改めようとも
決して止まる事の無い
その流れからは逃れられない
しかし自分のこれまでを
振り返ると恩赦のようなものも
閻魔様が決めるのかもしれないと
思わずにはいられない
幸福感を自覚するには
はじめから与えられてしまうと
阿呆な人間には
その有難みに
気づき辛くなってしまう
幸福列車の車窓からは
大きな重荷を背負って歩く人が
まるで罪人のように見える
額に汗して働いているだけなのに
そう見えてしまうのは
おそらく自分のまわりには
そんな人がいないし
隣の乗客からは
そんな罪人達を嘲笑う声が聞こえて
いつの間にか
ああいった存在にはなりたくないと
思い込んでしまうのかもしれない
教育とはそうならない為に
親が子を守る城壁の中で育てる行為
そんな努力を
何代にも渡り続けた存在を
周りは貴族などと尊敬しては
ああなりないと
自分の子供にはそうなって欲しいと
願うのだろうか
自分の育てた子供に
自分と同じように
生きて欲しいと願うのは
罪になるのだろうか
その逆はどうだろう
親に憧れていますと言うのは
恥ずかしい事なのだろうか
世襲議員のように
他者から責められる夢なのだろうか
叡智というものが
もしも本当に存在するのなら
罪人ばかりの地獄ですら
その種は撒かれていて
どれだけ非効率に成長をしようとも
その前進が止まらなければ
たとえば交通ルールのように
誰もが朧気にしか守らない決め事ですら
緩やかに形作られて行き
やがては大河ように
すべての流れを呑み込みながら
いつしか大海の天国へと
流れ着くという事もあるかも知れない
運河を利用すれば
大きな船すら山を登る
それはまるで
天国への階段よう
雲の上の存在を
いつの間にか見下して
権力を持った瞬間に
いつも通りのジョークが
ハラスメントに早変わりする
この現実を見ていると
幸福とは天上などではなく
足元に転がっているのかもしれない
その石ころのような幸福を
罪人達に蹴飛ばされて
川にでも投げ込まれるように
叡智の流れに巻き込まれ
いつか海へと流れ着く
もしもその場所を
天国と名づけて呼ぶのなら
閻魔の様な地獄の権力者には
さぞ都合の悪い事だろう
そう思うと少し
心の中の怖れが可笑しく思える