教師を志す人は

おそらく学校が好きなんだろうから

学校嫌いな人からすると天敵



いつも誰かが

隣に居る事が嫌いなら

教室は地獄だが

そこへ押し込むように

教師は躍起になるのだから

何ともお目出度いかぎり



他者と共に過ごすのは

素晴らしい事ではあるけれど

その相手は誰でも

良いという訳ではない



積極性だけが正義の小学校

能力主義な中学校

一体感を押し付けられる高等学校と

他者と比べると幸福感が得られないと

いろんな人達が発信しているのに 

共同生活の場では

否応なしに現実を突きつけられる



たしかに現実を知るのは大切

しかし自信を失えば積極性は枯渇

頑張れ頑張れと言われると

藻掻くしか無くなり心に引き籠もる



コミュニティを意識した

立ち位置の中で暮らすのが得意な教師

勉強は苦手でした

けれども学校に通うのが楽しくて

ずっとこの場所に留まりたいと思いながら

涙の卒業式を迎え



一度離れて見ると

学校へやっぱり戻りたい

戻っても良いかな

あぁあの頃のようにもう一度などと

思えた人が教師となる訳だから



そもそも不登校児の気持ちは

理解出来ないのではないだろうか



子供の心は柔らかく

半世紀も生きてみると

あの長かった12年間以上の

社会生活を送り続け



学校という居場所が

どれだけ自分にとって

重荷だったのかを実感しては

現状の幸福感が増している



この凝り固まった今の心で

あの当時の教師と向き合ったらと思うと 

ゾッとして背筋が凍りついてしまう

あの教室の居心地の悪さは 

オフィスに変わっても同じだったから

教師や学校だけが天敵でも無い



何が苦手なのかと言えば

虚実が入り交じる環境の中で

常にアンテナを張り巡らせては

自分の立ち位置を間違えなように

気を配り続けるのが

ただただ面倒臭かっただけ



対人恐怖症とはそんなものだからか

人好きには理解出来ないのかもしれない

そう考えるとコミュ障にとって

学校とはなんと苦しい場所だったのだろう



いつも誰かに

ここに居るよ光線をぶつけては

相手のリアクションで

自分自身を自覚するような

陽キャな人からすると



まるで誰も居ないかのように

ノーリアクションな陰キャからは

跳ね返りの情報が得られずに

自分自身の存在を感じ取れず

不安になるのかもしれない



教師とは本質的に

そういった性分の生徒を嫌い

陽キャな生徒達の中で

感覚の鋭い誰かがその本音を感じ取り

助けたり貶したりして

その場の雰囲気を作って行く



義務教育なのだから

受けさせない訳にはいかない



苦手な環境に晒し

好き嫌いをハッキリさせるのも

本人の為になるだろうけれど

自分の気持ちを

満たす事を忘れさせられては

本末転倒とも思うけれど