2009年というと15,6年前だから
昔と言えばそうだけけれど
それが150,60年前だとしても
そう変わらない感覚になるだろうか
個人的にはならないけれど
2009年の3月に携帯電話を持ち始め
その便利さに驚き
その3年後にはスマホに変えて
今ではネコ型のロボットのように
ひとときも離れられないくらい
頼りにしている
携帯電話が流行り出したのは
ちょうど一人暮らしを始めた1997年頃
飛びついて使ってみると
そもそも友人が居ないのだから
宝の持ち腐れになり
ちょっと旅行に行けば
設定しないと使えなくなるという不便さと
料金が高すぎるという事で
一年もしない内に解約してしまった
その思い込みが
iモードなどが流行っても
高い基本料金を払わされて
しかも使わなからと
貧乏な生活も相まって
ずっと携帯電話には
見向きもしなかったけれど
検索機能が便利だと知り
すぐにスマホに変えた
孤独な人間に
スマホがもたらす情報量は半端なく
まさに未知との遭遇
ETかよというくらいに
指先でタッチするだけで
あらゆる情報が手に入るのだから
まさに水を得た魚状態
振り返ると2009年以前の自分と
それ以降の自分では
おそらく別人くらいに変わっただろう
まさか自分がクレジットカードしか
使わなくなる未来なんて
想像すら出来なかった
カード払いとは
金持ちがするイメージしか無かったから
ポイント還元サービスを知った時は
金持ちに金を返してどうすんだと
憤っていたくらいだったのにそれが今や
はぁ?現金しか使えないの?と
毒々しい顔で支払う自分に驚く始末
時間の距離感とは
おそらく価値観や常識が一変すると
遠くに感じてしまうものなのだ
ほんの数年前まで
部屋の中にあるのが
当たり前だったテレビを捨てた
幼い頃からかじりついて観ていた
まるで乳母のよう存在だった家電を
もう使わないからと別れを告げて
まだほんの数年しか経っていないのに
出先でテレビを見つけると
懐かしいと感じてしまうくらい
15,6年も過ぎてしまうと
現実には30歳から40代半ばとなり
体の変化に驚いてしまうのだから
尚更それよりも前の時代を
その時の感覚を遠くに感じて
忘れ去ってしまうのかもしれない
便利さを捨てたくも無いから
あの頃になど戻りたくはないが
積み重ねて来た感覚の中には
確かにあの頃の自分がまだ現役で存在し
後戻りはしなくても
まるで旅でもするように
一時的にくらいなら
戻ってみても良いかと感じる
そうは言っても年齢は
あの頃には戻せない
おそらくあの頃の生活再体験も
一週間もすれば
飽きてしまうに違いない
だから150年も前の生活を
現代人が体験すると
よっぽどの物好きでもない限りは
体験はしたいけれど
そのままその時代で暮らしたいとは
思わないかもしれないけれど
その一定数を狙ってビジネスなら
成り立つかもしれない
この150年、60年の間の
すべての生活を体験出来るような
テーマパークがあったら
一度は行きたいとは思うものの
おそらくそう何度も繰り返しては
行かないだろうから
やっぱりビジネスにはならないか
だったらせめて
物語の中でという思いが芽生えるのか
そんな小説や映画やテレビドラマ
今ではアニメーションで
異世界中世時代が流行る始末
アニメでは大概の物語の
移動手段が馬車の時代設定で
その世界で現実的なサービスを
魔法として描いている
確かに世代的には
幼い頃の感覚からすると
スマホで使える
アプリケーションサービスなどは
まさに魔法のようだし
電子レンジで
焼き魚ってどうなってるの?
そんな理屈は知らなくても
魚は焼ける
チ〜ンって鳴れば取り出すだけ
まさに魔法だ
電子レンジは昔からあったけれど
その使い方や別の何かとの
組み合わせ次第で用途が広がり
しかも冷凍食品も美味しく改良され
そこらの安いファミレスくらいのものなら
自宅でレンチン出来てしまうのだから
もう引き返せやしない
列車の車窓から
世界を見せてくれる番組が
動画配信サービスで配信されていた
それをスマホで観ていたら
2009年のウクライナの車窓だった
農村風景の中に
二頭の馬が引く荷馬車が映っていた
ナレーションでは
今でも荷馬車が普通に行き交っていると
話していたけれど
もしもそれが本当なら
その土地の人々は
おそらく日本の江戸時代あたりを
2009年に生きていた事になる
あれから15,6年が過ぎた今も
あの頃と同じように田舎に暮らす
ウクライナの人々は
日本で言う江戸時代を生きていたら
空からミサイルや砲弾が降り注ぐ
この現状などまさに天変地異と
感じているかも知れない
そしてその感覚は
世界中の人々が感じている
国や地域が変われば
変化への速度も変わり
経済格差や文明格差がそうであるように
森羅万象の進歩状況を
赤外線カメラの映像のように色で捉えて
世界地図に重ねると
たとえば日本の歴史年表上の
時代に当てはめて現在を濃色にして
時代を遡る毎にその色を薄めて
世界の地域毎にグラデーション表示すると
ウクライナの田舎では
おそらくまだ明治維新前後を
今も尚生きている色になるのかもしれない
しかしそういった地域ですら
スマホはおそらく普及していて
そこで暮らしている人達も
自分と同じように使っているに違いない
もちろん全員では無くても
そうだとすると
江戸時代に生きていた人々が
誰からかスマホという便利な
珍器が流行っていると教わると
それを使いこなす事が出来るのではないか
実際にウクライナの田舎でも
アフリカ諸国の僻地に暮らす人々も
使える環境さえ整えば
間違いなく便利になるのだから
流行らない訳が無い
スターリンクなら空が見えれば
どこでも使えるのだから
現実的にも可能だろう
そう考えると
ジャングルの奥地に暮らしている
まだ文明に触れてもいない
未発見の原住民が居たら
どれくらいでスマホを
使いこなすようになるのだろうと思う
いやもっと言えば
原始の暮らしとスマホが融合すると
どんな速度でその民族は
文明を取り入れて行くのだろうか
言葉があって
AIにそれを学ばせれば
生活様式は原始のままなのに
どこぞの有名大学の博士号でも取れる
天才が現れるかもしれない
もしもそんな事が
起こり得るなら
現存する国々の対立など
なんと無駄な争いだろうか
宗教などが生まれる前の時代と
今のテクノロジーを直接に繋ぐと
無駄な文化や文明が削ぎ落とされて
言語も一つにまとめて
多くの対立軸は無くせるかもしれない
そもそも違いを無くすのだから
一本道をひたすら80億人が
同じ方向を進むかもしれない
それでも
行くか戻るかの二択は残るから
やっぱり対立するだろうか
そして同じ別れ道を
また作り出してしまうかもしれない
ただ個人的にも
劇的に変化するきっかけになった
情報源を手に入れるという現象
それを世界中の各時代を生きる人々が
ほぼ同時に手に入れて
全員がスマートヒューマンに
進化する未来には期待が持てる
そしてあの車窓から見えた
荷馬車が行き交うような
歴史年表上の各時代に生きる人々が暮らす
その世界を旅をすると
デロリアンなんか無くても
タイムトリップ気分を味わえそうで
何となくワクワクする
案外それは
絵空事でもないと思うし
ダンジョンのような歴史の行き止まりに
出会う事も無く道路標識に従い
原始のような世界を生きる人々が
一飛びに現代へとワープするみたいに
スマホが人類を繋ぐと
現存する中世時代を旅する事も
おそらく不可能では無い
地方創生などを謳う我が日本では
国土面積の狭さと戦後の国力増大に伴い
もはや都会と田舎に
時代の違いはおそらくは無い
都市部に比べて僻地の田舎が
江戸時代と変わらない生活を
未だにしている訳が無い
だから都市部から地方へ移住しても
そう変わらない生活が出来る筈
けれども人の感覚とは
思う以上に敏感で
見える空の広さが変わるだけでも
その違いをクローズアップしてしまい
行動を起こす前に
その違いを想像するだけで億劫になり
現状維持を選んでしまう
しかしその扉の向こう側へ
一度足を踏み入れると病みつきになり
もう後には引き返せなくなるのも
また人の性なんだろう
国内の僻地では
味わえない歴史を遡るような旅が
世界の僻地を尋ねるだけで
現実に味わえる
進化の過程や文明発展の過程
または進化の行き止まりに
出会えたりもするかもしれない