私には兄が一人いる

時代の流れに逆らって

二十代の半ばには

子供を二人育てていた



その子供には幼い頃しか

会った事も無いのだけれども

記憶には鮮明に残っている



私が異性にモテたのは

おそらく保育園児だった頃を頂点に

小学校までがピークだった



なぜモテていたと

自分勝手思っているのかというと

女の子からチューをさせろと

追いかけ回されていたから



ちょうど両親の再婚で

田舎へ移住して

新たな家族の中でトラブルがあって

父親に手酷くやられた後だった事もあり

自覚は無かったけれど

接触障害のような症状があって

他者と肌を触れ合わせる事が苦手で



手を繋ぐ事すら嫌なのに

チューをさせろと顔を近づけられるから

それが嫌で逃げ回っていた



田舎だから中学までは

同じ学校へ進むからその頃になると

そのチューをせがまれた女の子は

クラスのマドンナ的な存在となり

何だかもったいない事をしたと後悔



けれども幼い頃は

そんな事はまったく関係なく

なんでいつもいつも追いかけてくるのかと

ただただ面倒臭かった



そんな幼い頃の疑問が

兄とその子供たちがチュッチュッと

キスをするのを見て

世の中にはこんな風に育つ人もいるのだと知り

あの女の子がチューをせがんで来たのは

あの子なりの好意の表現だったのだと知った



好きな人にキスをする

手を繋いだりハグをするのは

好意の証であり

そうやって育てられると

幼い頃から同性異性に拘らず

好きならそうしてもおかしくはない



ましてや好奇心が強ければ

いろんな人とキスをしてみたいと

試して回る人もいるかもしれない



小学生も高学年となれば

個人差はあるにせよ女性は初潮が来て

明らかに感覚が変わる

それまで同じように遊んでいたのに

急に大人ぶる態度を取る人もいた



月経の意味を教えられて 

子供が産める身体に変わったのだと 

自覚をさせられて

受け容れる人と受け容れられない人

おそらく両方いるだろうけれど

月一サイクルで繰り返されるのだから

いつかは受け入れざるを得ない



受け入れるのが早い子は

自分が大人と肩を並べたのだと思い

その振る舞いを真似たりする

メイクをし始めるのは

その代表例かもしれない



大人とは何か

何をするのが大人なのかという迷い

月経を何度か繰り返すと

子供を産めると教えられた事と

幼い頃からの好意の証と

新たな欲求と憧れが入り混じり

恋心を抱く前に性行為する人がいても

何も不思議な事もない



大好きな両親とキスをするように

クラスメイト達と触れ合いながら育ち

初潮を境に大人を意識させられる



そんなタイミングで

恋愛映画などを観てしまうと

あれが大人なのだと思って

気持ちよりも真似がしたくて

付き合うという曖昧な 

でもどこか特別な関係に酔いしれて

キスや性行為をしてしまった後で

後悔するような展開になったとしても

もう後戻りは出来やしない



むしろなんの気無しに

好奇心の赴くまま性行為をしてしまい

その後友人知人との恋バナで

ファーストキスやヴァージンというものが

乙女チックなメモリアルイベントの

難関難所である事を知って

周りに合わせてしまうかもしれない



その素敵な戸惑いを

友人達を通して追体験

せめて初恋くらいはロマンティックにと

乙女チックな夢を見てしまっても

特別おかしくも無い事だろう



好きな人とは

家族であり友人であり仲間であるなら

キスをしたりハグをしてもおかしくない

その延長で性行為をしても

特別な感覚はないのかもしれない



恋心を持つ前に

好奇心だけで進み続け

何人かと繰り返しても

まるで両親や兄弟姉妹と

戯れ合う感覚だから

何の特別感も無いかもしれない



恋心を持つタイミングは

人それぞれで

キスや性行為は誰とするのかという

一般常識を知る前にしてしまったとしても

そういうものだと感じるしかない



むしろ知ってさえ

恋心を表す行為としてのみ

キスや性行為をしなければならないという

感覚を理解出来ない人なら

尚更にフリーセックスを

推進するかもしれない



元は家族間での

コミュニーケーションなのだから

嫌いじゃなければするでしょ

くらいの感覚の持ち主が

仮にいてもおかしくは無い



無意識の領域で

そう感じている人は

案外と多いのではないか

不倫などは良い例で

性欲が高まったタイミングで

その場に異性がいれば

元から好意があれば

何となく伝わる事も考えられる



互いに性欲があり

人となりも知った上で

嫌いでは無いのなら

欲求を満たすのは容易い



愛する人としか

性行為をしないというのは理性で 

その欲求は感性であり

またその背徳感が子供心を擽り

戯れ合うように性行為をする



そう考えると合点が行く

無意識に罪では無い感覚があり

好きなら当然という

家族間のコミュニケーション習慣が

一生続いているとしても

不思議では無い気がするし

むしろその方が自然ではないか



フィクションの

エロティックな場面を想像して

ストレスになるだけで

本来幼い頃から

コミュニケーションの一環として

キスをしたりハグをしたりと

他者と触れ合う事に慣れていると

逆にその温もりが無ければ

ストレスになるのではないか



だからこそ同性異性に関係なく

身体に触れ合う人がいるのかもしれない



物足りなさや不安などを感じると

幼い子供が抱っこせがむように

温もりを求めるのは人の性かもしれない



不幸なのは

ファーストキスは

赤ん坊の頃に親に奪われ

初めての性行為も

自身の無警戒な好奇心に奪われて

後悔してしまう事だろう



ましてやそれで自分が

汚れてしまったと後で思い込んでも

どうする事も出来ないのだから

理性は捨てた方が良いかもしれない



汚れたと思い込んで 

売春などを始めてしまうと

無意識の罪悪感に

ゆっくりと心を蝕まれるかもしれない

逆にやってしまったものは仕方が無いと

問題意識など皆無の人なら

特技として受け容れて利用出来る



役者などは代表例で

演じるだけでなく

エロティックも表現の一部として

違和感を持つ事も無く

演出家の求めに応えられるなら

同業他者と差別化出来る武器となる

AV女優などがそうだろう



作品の作り手からすると

そんな感覚の持ち主である役者は

おそらく重宝するのではないか

実際に映像作品市場は

活況が続いている様子でもあり

コミュニケーションのの取り方一つで

道がが拓かれるなら迷う事も無い



個人的には風俗などは

法律で縛りをキツくすると

せっかくの特技が使う場所を

奪いそうだけれどとは思う



どんな人でも

合わない環境で過ごしたり

そんな作業を続けるのは苦しく

心を擦り減らしてしまう

ただ自分の不幸が必ずしも

誰かの不幸とは限らない



私がプールへ飛び込めば

藻掻き苦しみながら沈んで行くけれど

スイスイと気持ち良さそうに

泳ぎ回る人もいるのだから

おそらく私の苦しみなど

彼等には理解出来ないに違いない



無理に張り合っても勝ち目は無い

それどころか向こうは楽しんでいるのだから

根本的に感覚が正反対なのだから

そんな彼らを真似る必要もない



ルールは必要だ

けれどもどれが正しくて

ぞれが間違いだなんて

各々が抱える感覚には当てはまらない

どこまでが普通で

どこからがそうではないかの基準も

おそらく人それぞれ



むしろ泥臭く 

汚い道のりを進みたい人や

そこにしか活路を見出だせない人を

スタジアムのトラックで

正々堂々と勝負をさせる事の

意味とはなんだろうか



勝てるレースがあるのに

なぜその場所を奪われてまで

生き続けなければならないのだろうと

生命を削るよりも

勝てるかもしれないコロシアムで

勝負をさせた方が後の世に

優れた遺伝子を残せそうではないか



歴史を振り返っても

道無き未知の領域を切り拓いて来たのは

そんな人達でもあるのだから

好きにさせれば良いとは思いつつ

あのクラスメイトや姪っ子が

風俗嬢になっていたらと思うと

そんな綺麗事はキレイサッパリと消えた

だからこそ価値がある