夢の新幹線リニア
子供の頃からそう言われ続けて半世紀
未だに実現はしていない
北海道新幹線もまだ札幌まで
到達していないのも現実
世界は火星を目指して
宇宙開発へ真っしぐらなのに
我が日本と言えば
未だ昭和の計画すら
達成出来ずにいる始末
失われた時代を抜けたら
そこは真っ暗闇だったなんて
おそらく口が裂けても言いたくない
けれどもリニアも北海道新幹線も
まだ遠く夜明けの気配も無い
この現状で
どんな未来を描けるだろうか
今のところは不安しかない
それでも時計の針は止まらない
真っ暗闇の中で立ち竦んでいても
未来へと今が素通りしてしまう
昔は良かったなどと
愚痴を言っても
何も解決はしないからと
過去を振り返らないのは勿体ない
間違い無く良い時代はあったのだから
更にその前の時代から
何か学べる事もあるだろう
そもそも振り返る必要も無い
一番良かった時代を知る団塊世代
たとえばアーティストなどは
古希を過ぎても扱き使われているのか
全国各地をコンサートで巡り
そこへ出掛ける観客と言えば
同じ世代ばかりだろうか
親子二代もしくは三代に渡り
ペンライト片手に
並んで振っているなら
歌は時を超えて夢を与えている
あの頃の流行歌が
合唱曲として歌い継がれ
今を生きる人々に
明日へ向かう勇気を与えている
歌だけでは無く
物語だって同じだろう
不朽と呼ばれる名作
映画やテレビドラマ
小説や漫画に至るまでが
今もその輝きを失ってはいない
田園風景や里山を
どこか懐かしく思う気持ちも
完全に消え去ってはいない
むしろコンクリートジャングル育ちが
山奥で鹿を狩る時代なのだから
案外と我が日本国にも
捲土重来の可能性があるかもしれない
たとえばなんだろうか
私の職場などでは壁一面に
作業で必要な決め事を
手書きした貼り紙が
所狭しと埋め尽くしている
作業員にとっては
PCなど使わなくとも
未だに困る事など無い
報告書などはプリントされた
テスト用紙のように
手書きで埋めるだけで良い
作業員に求められるものは変わらない
発注者へメールする人も必要枠だけれど
そんな人は現場には来やしない
それでも現場は地球のように回って
何も困る事は無いこの現実
人手が不足しているのだから
効率化出来るところはすれば良い
無駄を省けばまだ足りるかもしれない
清掃作業という職種も
その内に社会から省かれるかもしれないが
それしか出来ない者などは
職業訓練という名の生活保護を受けるだけ
そうなるくらいなら
無能でも働ける場所を残した方が得策
少なくともオフィスで働く人などは
そう思っているに違いない
PCを使えない作業員の代わりに
報告書を清書するだけでお金が貰えるなら
それで良いではないか
作業員側も
団塊ジュニア世代が主流で
PCの使い方を練習する手間も省けて
結局は効率が良くなるのだから
まさにウィンウィンウィーンと
掃除機を掛けるだけで生活出来る
その行動の目的は一つじゃない
きっかけも様々あり人それぞれに違う
けれども生まれたからには
生きなければならない現実は
紀元前から変わらない事実
無知な阿呆からすると
知性の齎す影響に右往左往しながら
毎日を暮らすのは
バッティングセンターの打席で
ただ来た球を打ち返しては
ジャストミートするのか
空振りするのかの違いでしかない
投げる相手が人でも
それ以外になっても変わらない
会心の当たりは気持ち良く
バットが空を切ればもう一丁と
当たるまで挑戦し続けるだけ
寿命が尽きるまで
バッターボックスからは出られない宿命も
おそらく紀元前から変わらない
いつ期限が切れるのかも分からずに
ただひたすら当たりを求めて
自分の機嫌をとりながら
バットを振り続けるのも変わらない
バットの長さ
トレーニング方法
タイミングの取り方
右打席が駄目なら左に立つなど
いろんなアドバイスをくれるのも
人だってAIだって変わりやしない
いつだって打席の中では孤独で
確信が持てなくて不安で
それでも振り続けるしかない
人生の行き着く先に
何を求めているのだろうか
目標を達成したら
夢を叶えたり願い事が叶ったら
何かを手に入れるとして
それがモノでも気持ちでも
手にした瞬間は歓喜に満ち溢れるけれど
死というゴールテープの直前に
そんなイメージを抱けるだろうか
抱けるのなら構いやしない
そのまま満たされて死ぬだけ
けれども死にたくないとしたら
達成した人生の果てで
何を思いながら死んで行くのだろうか
そう考えると
達成されてしまうのも考えもので
北海道へ新幹線が来ないのも
案外と未来への楽しみを作り続ける為に
あえて完成させないようにしているのかも
などと現実逃避をしてしまいそう
それでももし
自分が死ぬ間際に
苦節数十年
とうとう札幌に新幹線が来たと
歓喜に湧く華やかな雰囲気の中でなら
気持ち良く死ねるかもしれない
もしも明けない夜だったとしても
星空を眺めては手が届きそうだからと
手を伸ばし続ける馬鹿でありたい
おそらく紀元前の誰かもそう思いながら
願掛けをした事だろう
効率的になった未来では
誰もPCやスマホなど
使いはしないかもしれない
たとえば身体の中に
端末を埋め込むのが主流なら
昔のショルダー式携帯のように
持ち歩くのを不便に感じてしまう
開かずの踏切に
バイパスを通すように
新たな道が築かれた後の世界では
その過程が無かったかのように
消え去ってしまう
余計な寄り道などせずに
ただ目の前の作業をしているだけで
いつの間にか新たな便利サービスが生まれて
PCやスマホという過程が忘れ去られ
ただの遠回りになるかもしれない
完成までの過程などは
扇子の柄と同じで
使い終わればパタンと閉じて
始まりと終わりしか見えなくなる
そう考えると
何も悲観する事も無いかとも思う
要は必要とされるものは残り
過程の作業や役割は消えるだけ
そうだとすると案外と
いつか消え去る過程を今
目の当たりに出来ている事が
貴重な体験のようにも感じてしまう
いつになったら完成するのかと
語り合う事の方が強く残るかもしれない
作り続けている人達からすると
その作業を失いなくないと
思っているかもしれず
完成した時を思い浮かべながら
目の前の作業をするのが幸せであり
何も未知なるものを
作るだけが成功でもない
あっても無くても困らない
そんな便利な世の中なのだから
何も急ぐ事も無い