一人で過ごす事が苦にならない

そんな人も多い事はもはや周知の事実



本を読んだり

何かの練習に打ち込んだりと

集中すると寂しさなどは

おそらく感じない



むしろ誰かが傍にいない方が

集中出来ない人からすると

訳が分からないかもしれないけれど

単純に聞けば

大概の人は答えてくれる



一人が苦にならないから

コミュケーションが苦手とは限らない

ただ気にならないだけの人は

案外と多いのかもしれない



家の近所を歩くと

一人で歩いている人も多いのに加え

夜風が心地良い季節なら

夜の暗闇の中で公園を

散歩する人も見かけるのだから

危険を感じなければ

特別一人でいる事を気にしないのだろう



分からない人には分からない

分からなくても困らない

気になる人は聞いて見れば良いし

大概の人なら答えてくれる



そう思って

自らを振り返ると

多分そんな質問をされたら

素直に答えないと思い

これがコミュ障害なのだと

改めて実感する



なぜ答えないのか

答えたくないのかと自問すると

相手がなぜそんな質問をして来るのかに

不安を覚えてしまい

本当の事を知られるのが怖くなると

頭の中に言葉が浮かんだ



確かに

なんの気無しに誰かに答えた

適当な言葉が人伝に広まって

回り回って自分に戻り

そんな返答などすっかり忘れた頃に

そう言えば前にそう言っていたと

誰かに言われた時に

何だか気持ち悪く感じた事を思い出した



なぜ気持ち悪いのか

幼い頃の兄弟での約束事を破られたり

秘密を言いふらされた結果

親に怒られたりして

嫌な記憶があるせいなのか



意識的に嘘を答える内に癖になり

それから何事も起こらなくなったという

成功体験も相まって

無意識に素直な返答を避け続け



たまに忘れぬようにと

目立つ話しを誰かにすると

大概秘密にしてくれと約束しても

誰か別の人からお前そうなんだろうと

言われる事の方が圧倒的多いから

やっぱりホントの事を

誰かに話すと広まるからと

いつの頃からか

話しすらしたくなくなった



会話が苦手なのもそのせいで

誰かを嫌いだと言うと

もう次の日には広まっていて

その誰かが何かの対象なってしまったり

良い事ならまだ構いやしない

誰の事が好きだと言ったら

本人に伝わり気まずくなるくらいなら



けれども嫌いと言った相手が

それをきっかけにイジメられては可哀想だし

イジメたのがいつの間にか自分にされて

先生に呼び出されて怒られたりと

誰かと話して良い事が無かったからなのか

雑談とは無駄な会話で

しかもそれがきっかけで問題が起きると

幼児体験の思い込みと

会話に対する欲求の薄さが相まって

一人で居る事が

一番安心出来るようになってしまった