生きたいと思った事は
おそらくたったの一度も無い
物心が齎した自意識が
心の底から生きている事を
喜んだ事もおそらく無い
だったらなぜ半世紀近くも
生きて来たのかと問われると
答えは簡単
社会というシステムに
生かされて来ただけ
高校を卒業して
一人暮らしを始めて
一年もの間
親からの仕送りを受け
打ち切られてから氷河期の
厳しさに晒された頃は
泣きべそかきながら
現実の流れに身を任せ
馬鹿だからなのか
そういうものなのだと
自分に言い聞かせながら
寝る間も惜しみながら
ただ言われるがまま
バイトに明け暮れていた
夜中の2時に
事務所から帰宅する時
明日の集合時間を
6時と言われて
絶望した真冬のあの日も
分かりましたと答えて
お疲れ様でしたと伝えて
歩いて帰えりながら
明日は何時頃
この道を通るのだろうと
予想しながら遊んでいたら
今日だった事に驚き
気づくと涙が頬をつたった
人生のいつを切り取っても
戻りたくなるほど幸せだった時は無いし
今の自分のまま幼い頃に戻れても
またあの日々を味わうのかと思うと
うげぇッってなるから
上手くやり直せる自信も無い
だったら悲運の
主人公だったのかと問われると
これがまた運だけは良かった
少なくとも人生のどこを
振り返ってもそう思うのだから
不思議なもので
すべての出来事を
正確に思い出すなんて事は
おそらく出来ないけれど
記憶の始まりから四十年くらいは
今思うと他人のような感覚で
厄年のある時に
四十四という漢字を
4+4と読み間違えてから
何となく感覚が変わり始め
前厄本厄後厄が終わり
ようやくひと息つけるという時に
44歳という年齢になる事が
死ね死ね言われているようで不吉に思え
気が滅入っていたから無意識に
現実逃避を企てたのかもしれない
性格なのか
死ね死ねと言われているかと思うと
何だコノヤローと
逆らいたくなるもので
シとシを合わせると
シ合わせという事だから
アレッこれって幸せじゃね?と
一度思い込むと猪突猛進
何人たりとも目の前には現れないから
一人で都合の良い解釈を繰り返し
孤独とは
ネガティブシンキングだと
トコトン落ちるけれど
理屈抜きのポジティブシンキングが浮かぶだけで
どんなブタでも空を飛べてしまうらしく
ブタ箱みたいな思い出すら
心を浮つかせて俯瞰してみると
紅から桃色に変わるらしく
妙にリアルに感じて
一人命くれない状態になった
死ね死ねが
幸せなんだと思ってしまうと
あれほど馬鹿な自分が
この年齢まで生きている事が
もはや奇跡だと感じた辺りから
明らかに運が良いと実感
そして改めて
生きたいなんて思った事も無いのに
この惨めったらしい人生の中で
死にたいと願わなかったのは
何故かと改めてを自問すると
小5の夏休みに死ねないのだと
思い込んだ事を思い出した
夏休みの最終日
両親が寝静まった真夜中
やり遂げるのを諦めて
死のうと思った
夏休みの宿題なんて
まともにやり遂げた事など一度も無い
8月31日は当たり前に忙しく
難問達と向き合うのが俺流と
休み明けに先生に怒られるのが
当たり前になっていたけれど
5年生になってからの
担任教師はおっかない先生で
前評判を聞いていたのか
夏休み前に忘れたら
承知しないぞと脅されたものだから
それを真に受けて
いつも通りに最終日を迎えて
寝不足も重なったせいか
急に怖くなってしまい
死を決意するに至ったあの日
台所から包丁を
自分の部屋へ持ち出して
自殺といえば割腹一択
なぜか上半身裸になり
刃先でちょこんと腹をついたら
その先に待ち構えるであろう
その痛みの恐ろしさに耐え切れず
死ぬ事を諦めた
自分で死ぬのは無理だと
端からみると阿呆みたいだけれど
あの究極の状況での思い込みは
思いの外強く心に刻まれたらしく
生きたいと願いはしないけれど
死ねないのだから仕方が無い
どうせ生きなければならないのなら
最低限の労力で必要以上の幸福をなどと
おそらくあの時願ったのだろう
強烈な喜びは要らない
楽しさなんてのはドキドキすれば
好きな時に感じられる便利な感覚で
一分くらい息を止めるだけで
辿り着けてしまうから
あえて願いもしなかった
好きになった食べ物は
毎日食べたいから
美味しさよりも手軽さ重視
喜びも同じように
その嬉しい状態が気に入ったら
それを持続したくなるから
宝くじに当選するような
ビックウェーブは要らない
凪いだ水面に
波風を立てるのは自分でありたい
我を忘れるような喜怒哀楽は
後になると扱いが難しくなるから
なるべくなら遠ざけたい
だからテレビ番組やら
YouTubeやらが好きなのかもしれない
喜びも悲しみも
疑似体験くらいがちょうど良い
気に入ると何度も思い返して
少しづつフィクションを濃くして
繰り返し遊べるから面白いし
何より安全が確保されているのだから
安心も手放さずに済む
芸能人や経営者などの演者とは
おそらく刺激を必要とする
ドーパ民族なんだと思う
成熟した社会では
安心安全安定から解脱するには
案外と難しいのではないか
ましてや有能で勇敢な人なら
刺激の無い暮らしとは
生き地獄なのかもしれない
戦争が無くならないのも
おそらくそんな感覚の持ち主の一部が
軍隊オタクだったりするからかもしれない
無能な小心者からすると
そんな勇者みたいな人達とは
相容れない感覚しか持たず
スペースマウンテンより
遠目にエレクトリカルパレードを
眺めるくらいがちょうど良い
前人未踏の場所へと
躊躇いもなく踏み出せる
ドーパ民族からすると
なんの挑戦もしていないように見える
セロト人などは怠惰の象徴と見なすから
資本主義と社会主義のような
対立軸が出来上がるのかもしれない
セロト人からすると
生きる事に喜びなどは不要で
ストレスを捨てる事に
喜びを感じるのだから
必要以上に働く訳もないし
消費すら削るものだから
ドーパ民族からすると天敵扱い
そもそも小心者とは
確定していない未来に不安を抱き
いつもドキドキしている
ドキドキとワクワクの違いに
気づく事の出来ない無能にとっては
毎日がアドベンチャー
わざわざアチアチな
アドベンチャーなどを求めなくとも
無意識に安全地帯から飛び出して
自ら悲しみにこんにちはと言うのは
死ぬ事よりも鬱陶しい
そんなセロト人にとってみれば
ヒリヒリする刺激など必要が無い
あんな事こんな事が
起きたらどうしようという
不意に頭に浮かぶ
ネガティブシンキングで
刺激は充分
今日も何事も起こらなかったと
ベッドの中で思いながら
眠りにつくだけで幸せなのだから
ドーパ民には理解不能だろう
小心者が傷心すると
おそらくセロト人になり
安全地帯で
悲しみにサヨナラ出来ず
毎日ドキドキしながら
これがあの胸のときめきなのかと
勘違いしながら暮らしている
ドーパ民に限らず
端から見たり自ら俯瞰すると
阿呆の極み
乙女かよ!って思うけれど
ストレスが消える度に喜びが手に入るなら
それはそれで幸せだと決めつける
幸福感なんてものの
行き着く先は感覚だから
ドキドキをワクワクだと勘違いでも
気持ちには同じ作用を
起こすのだろう多分
生きたいなんて思わなくても
死にたくなければ生きられるもので
生まれて来て良かったーなんて思えなくとも
それなりに幸せにはなれる
テレビの影響で
8月31日に夏休みの宿題をするのは
当たり前だと思い込み
毎年そうしていたけれど
あのおっかない先生に言われて
自分が道産子である事に
初めて気づいた5年生の夏
北海道の学校ではおそらく
8月31日に宿題をしている生徒はいない
なぜなら20日過ぎに夏休みは終わり
もう二学期が始まっているから
それでも頑なに8月31日に
宿題をしていたのだから
もう宿題じゃなくなっていた
それまでの先生達は
そんな阿呆な児童を傷つけまいと
放課後付き合ってくれていたのだと
今更気づいて恥ずかしくなっても
誰にも分かりやしないが
実はあの惨めな時間も
誰かの優しさに恵まれていた事に
気づいてみると
やはり運が良いと思う
苦しみも悲しみも
抜け出してから振り返ると面白くて
幸せを感じられるものだと思い込んだ事で
明日が少し楽しみになった
川面に輝く月のように
時の流れに取り残された人生だった
何一つ変わらずに過ごしただけ
けれど周りは様変わりして
知らない内に居心地が良くなった
変わる事が幸せな人もいる
変わらなくても不幸にならない人もいる
宇宙に行きたい人もいるけれど
大勢が旅立った後の
少し広くなった地球で
伸び伸び暮らせると喜ぶのがゼロト人
出会った事の無い何かという
刺激を追い求めるのがドーパ民だから
テクノロジーの進歩によって
地球外国家などが実現すると
戦争も無くなりそうだから
未来は案外と明るいかもしれない
生き方も考え方も
捉え方もすべて人それぞれ
明日の為にと
今日の内に何か出来れば
いつかは自分が変わる
環境が変われば
月の形は変わるけれど
その光に違いは無く
失敗しても忘れた頃には
同じ形で浮かんでる
ドーパミンもセロトニンも
人には欠かす事の出来ないものらしく
どちらに依存するのかは人それぞれ
思い浮かべる月の形も
おそらく人それぞれなのだから
分りりあえなければそれはそれで良い