感覚に支配されているせいなのか

自分自身からは逃れる事が出来ない



眠い目を擦りながら

状況に合わせた行動をすると

そんな状況は二度と御免だからと

その前の段階まで遡り

どうしてああなったのかを振り返る 



そうすると大抵は自分で

決められないからという結論に至り

決定権とは決して

手離してはいけない事を知る



だから一人が好きなのだ

何をするのもしないのも自由

その状態を保ちたい

人生の目的なんてのは

自分にとってはそんなもの



しかし現実に

一人で暮らすとなると

働かなければならず

働くとは他人と関わるという事だから

必ずしも決定権を

得られる訳でも無いから

職場という環境は嫌い



働くというのは

何も労働に限らない

ただ会話をするというのも

働く事に入る



なぜかと言えば

会話をしたいという欲求が無いから

一人でいたら独り言を話せるから

発声欲求はそれで満たされてしまうから

誰かとの会話とは

ただ相手の話しを聞くだけ



しかも興味がなければ

聞きたくないし

でも上司とか取引き先の人なら

嘘でも聞いているフリをしなければならない

それはもはや学校の授業と同じ



学生の仕事は学ぶ事

だから学校も居心地が悪かった

大抵の授業に興味は無いから



清掃員という職業を

四半世紀も続けた結果

何も体育の授業が好きだった訳じゃ無く 

体を動かしながら何かを考えていると

飽き辛かっただけなんだと気づく



ただ自分のペースで

その時々の気分に合わせて

必ず終わる作業を

決まった時間だけするのが

得意らしくて気楽なのだ



そんな性分だから

まともな仕事は出来ないし 

人付き合いなんて無理

そもそも会いたいと思える人にしか

会いたくないのだから

その人の付き添いなんて人が

もし付いてきたらハイさようなら



社会インフラとは

誰かの手によって成り立っていると

分かっているのだから

わざわざ顔を合わせなくない

ただその便利さだけを享受したいだけ



あらゆる便利なサービスや

発明品を作り出したその人には

まったく興味は無い 

あくまでも自分が心地良く

過ごせる事だけが大事だから



それ以外の物事に

あえて関わりたくはない

人は一人では生きられない

けれども直接関わらなくとも

たとえばアプリケーションなどで

繋がっていれば不便は無い



むしろ社会生活で

繋がりを感じるくらいが丁度良い

散歩しながら目に入る街並みも

すべて私には人に感じる



都会が好きなのだから

おそらく人好きには違いない

けれども向かい合う必要は無く

ただ自分を助けてくれている

人達が幸せであれば良いとも思う



大切な何かを失うと

その喪失感は物心が無くとも 

身体の感覚には刻まれる

だから失う事を恐れて

はじめから手にしないのかもしれない



それは意気地無しなのか

合理的なのかその両方なのか

分かったところで

何が変わるというのだろう