生まれた時から
保育園に預けられ
週末家族で育った世代は
集団の中で最善の位置取りを
無意識に感じ取りながら
コミュニティ毎に
キャラクターすらも器用に
使い分けているのかもしれない
Gameの世界では
男も女も偽りながらPlay出来るから
何も難しくも無く
むしろ自然なのかもしれない
古今東西
一人の人間が見せる顔が
一つで無い事は
現実でもフィクションでも
多くの史実として残されており
誰もが日常的にTPOに合わせながら
尤もらしい顔をして
いくつものキャラクターを
使い分けて来た事だろう
そう考えると
世代の違いは無いのかもしれない
けれども過ごした環境は
確実に違いがあり
団塊世代から氷河期世代には
それほど価値観の違いはないかもしれないが
その下のミレニアル世代とは
教育指導要領の壁があり
その下のZ世代との間には
情報ネットワークへと
アクセス感という壁があるように思う
団塊世代と
そのジュニア世代とは
おそらくど昭和な感覚が漂い
アメとムチや叱咤激励こそが愛などという
価値観にそれほどの
違いは無いのではないか
同じ価値観の親子関係ならではの
一体感が感じられる
その末期から
ミレニアル世代に挟まれた私などは
殴られ損の発狂世代
キレる世代として一世を風靡した
個人的には仕方が無いと思う
親や先輩には殴られて
後輩にはナメられても
暴力は犯罪だと言われて撃沈
去年までは普通に
殴られていた先生に
突然暴力は駄目だと怒られるという
不条理を味わったのだから
感情の整え方を
覚えるまでに時間を要し
限界まで我慢をして
結局キレるを繰り返した世代
ミレニアル世代とは
ゆとり世代とも言われては
昭和世代に虐げられ
けれども幼い頃は
ホワイトに育てられたせいか
暴力を恐れない世代であり
自己主張に命は賭けない
幼い頃に
トラウマを持たないから
チャレンジ精神旺盛
けれども団塊ジュニア世代に
育てられたせいか口は悪い
おそらくどこの
コミュニティの顔にも裏があり
本音と建前を
いくつも使い分ける事で
疲れ果てては
SNSで八つ当たり
そう考えると
案外SNSも役に立つ
何かの腹いせに
殴り合いから殺人事件に
なるくらいなら匿名で
罵詈雑言を吐くほうが平和
その対象も誰でも良くて
その時やり玉に上がっている誰かを
貶めてスッキリするなら良いけれどね
繰り返す内に気づくのよね
自分の現実環境を変えない限り
ずっと違和感が続く事に
保育園と週末家族という
2つのコミュニティの中を
行ったり来たりするように暮らした
幼い頃のように
大人になるといくつもの
お気に入りの場所や時間を作ると
少しは心が軽くなって
本を読んだり
YouTubeで何かを観たりして
気持ちをあちらこちらと
飛び回るように
まるで旅をするように
動かし続ける事で
自分の最適な居場所なり
環境なりが徐々に見えてきて
好きなものが嫌いだったり
嫌いだったものが好きだったりと
はじめは便器の中に手を入れるような
嫌悪感を抱く思いが遮って
なかなか受け入れられず
でも何度も何度も
浮かんでは消えて行くを繰り返す内に
たとえば酔った勢いとかの
後押しがあった時に
一度便器へ手を入れてみると
案外と普通の水であった事を知り
段々と違和感が薄れて
いつの間にか
砂時計をひっくり返すくらいに
自分の感覚が変わってしまい
戸惑いながらも気分が良くなる
分からない人がいる事は
観察するきっかけにかるかもしれない
嫌いな人がいる事は
自分自身の本音を表しているかもしれない
だから考える切っ掛けになる
そんな体験をすると
違和感の無い環境にいる事が
少し怖くなる
産業革命から今日に至るまでの
社会環境の変化は加速する一方で
バブル期を頂点にして
不便が解消された結果として
変化を望まない世代が生まれた
変化を望まない感覚は
今や世代を超えて
引きこもりなどは増える一方
親が安心を与えてくれるなら
その世界から出たくはない
学校へも無理やり登校させられず
だからといって放置するのも無責任
どうすれば保護者としての
責任を果たす事になるのだろうか
昔なら無理やり行かせれば良かったものが
今ではまるでペットを
虐待するような感覚に陥り
誰に助けを求めても
本人の意思が大切な世の中で
そのまま生活保護者へまっしぐら
社会が豊かならそれも良い
苦しんで何かをしながら
知らない誰かを貶めるくらいなら
心地良く惰性で生きた方が
おそらく他人の邪魔にはならない
痛みも苦しみも感じないまま
まるでGAME OVERするように
死んだ事にも気づかずに逝くのも
案外と悟りかもしれない