罪の無い存在とは
本来この世の中には存在しない
今日生まれた赤児にさえ
何かしらの罪状はついている
罪を償う舞台が
現実であるという事を
受け容れる者のところに
救いの扉が現れる
何の罪の無い幼子が
命を落としたからと言って
それは本当に悲劇なのかは
死んで見なければ分からない
輪廻の裏と表が
入れ替わるだけなのだとすると
生死などは状態の違いであり
骸は蛹のようなもので
器を入れ換える過程の外観
謙虚なる事を是とし
感謝を怠るなとあらゆる教えが説くのは
全ては存在している時点で罪を背負い
悔い改める為の流れが永遠なのだから
死とは悲しむ事ではない事を
表しているのかもしれない
精進料理などとは言っても
所詮は草木の命を奪っているのだから
体の良い言い訳に過ぎず
その戒律を守る事に執着するという
罪を犯し続けているとも言える
存在するというのは事実
特に生物であれば犠牲の上にしか
成り立たないのだから
食事をするだけで
罪を犯し続けている
そう考えてみると
氷河期などと言われた
苦しい時代や戦時中などの
理不尽な現実を
受け容れられるかもしれない
あの時代があったから
今の幸福があるのだと思い
その有難さに気づき
あの罰を受け容れる事で
無に帰す為の扉が
目の前に現れるのだろうか