金曜8時の先生が

人という漢字は人と人とが

支え合っていると教え

それを悪ガキは

短い方が長い方を一方的に支えていると

難癖を思い抱いたりして

やはり人とは

平等には生きられないのだと悟った



しかし物事の捉え方とは

まさに多種多様であり

同じものを見ても抱く思いは

人それぞれに違う



長い方を親として

短い方を子として捉えると

子供が親を支えるのは

人として当たり前という人もいる



親分子分の関係や

文字通りに親子関係にも

その感覚は通じている



甲斐性なしの貧乏人の子供は

いつしか小遣いば欲しいなどと

わがままを言わなくなり

親分の身代わりに刑務所へ行く

ヤクザの子分などからすると

何も不思議な事は無い



それ以前に

赤ん坊の無垢な姿に癒やされる時点で

親は子に支えられているとも

捉える事が出来るかもしれない

あの不意の笑顔にまさる活力源が

この世界のどこにあるというのだろうか



子供に抱っこをせがまれて

抱きしめた時の暖かく柔らかな感触は

おそらく親心にも

同じ現象を起こしてしまう



そう考えると

特別な事などをしなくとも

生まれ育つその過程そのものが

親孝行になるのではないかなどと

都合の良い思いが浮かぶ



幼い子供はそれで良いが

老い先短い両親に対して

成人した子供がが抱くには

さすがに酷な話だろうけれど



10年ほど会わずにいた両親の元へ

気まぐれに帰省した時に

その期間の違いをあまり感じず

老い衰えて行くのはこれからなのだと悟り

六十代から七十代などは

今の人間にとっては何も変化を齎さない

多少髪の色は変わっていたけれど



我ながら

ベストタイミングでの再開だと思う



孤独を気取り

家族から距離を置いたこの十年間

時代は確実に移り変わり

前時代的な考え方を捨てなければならなかった

そこに引きずられて両親に頼り

そのアドバイス通りに生きてしまえば

楽が出来たはずだけれど



両親は確実に

自分一人を置いて先に死ぬ



還暦を境にして

母が老人になる事を選び

祖母そっくりの出で立ちへと

イメチェンをしたのが

15年ほど前だったが

その時に抱いた恐怖心



三十代の前半

その数年前までは

蓄えも持たないほど何も考えずに

ただ生きていた

何かあったら親に頼れば良いからと

何も焦りは無かった馬鹿息子



突如として

老人となった母の姿を見て

いつかは両親は死んで

頼れなくなるのだと

無意識が警鐘を鳴らした



ちょうどスマホを手にして

クレジットカード支払いを始めた頃

ポイント欲しさに始めたけれど

分割払いはしたくないからと

一括支払いしかしないものだから

嗜好品の支払いだけでは

大した額にならず

あまりポイントが溜まらない



どうすれば

もっとカードを使えるのかを

考えた結果

一番の支出は生活費なのだから

そのすべてをカード払いすれば良いと

現金支払いを止めた



それを当時

帰省した際に両親に否定的に言われ

やはりリスクが大きいかと迷った



もっと正確に言えば

たじろいでしまった

怖かったのだ

もし使い過ぎて支払いが滞ったら

両親に頼る訳にもいかない

だから言っただろと

嫌味を言われるのは目に見えている



振り返ると 

あの頃も分岐点だった

精神的な親離れをしたのは

おそらくあの頃で

誰に何を言われても

人を寄せ付けなかったのは

おそらく孤独を感じていなかったからで

常に両親の庇護を感じていたから

好き勝手に孤独を気取っていただけ



いつもデス・スターのように

どっかりと心の中に恐怖の大魔王達が鎮座して

恐ろしい程に強大な力を持つ

ヤクザの親分に向けるような畏怖の念が

どれほどの貧乏生活をしていても

いつも安心感を齎していた



初めて百万円という

普段の金銭感覚からすると

現実離れした額の貯金が

クレジットカードの支払いの

担保となり

何となくの保険と捉えて

両親に頼らなくとも

トラブルを解決出来るかもしれないと

両親の反対を押し切って

現金支払を極力止めて

クレジットカードでの支払いに切り替えた



自制心のコントロールに成功して

支払いに困る事は起きなかった

その自信がその後の投資行動に繋がった

スマホ経済圏が確立され

常識が移り変わって行く過程で

それまの常識に合わない選択をする時に

常に両親からは

否定的な言葉が出て来た



未経験の事をする時に

「大丈夫なの?」と聞かれても

分からないから余計に不安になる

その不安を消したくて

両親と距離を取り始めた



遺産が一生の保証をしてくれる程

残してくれるのであれば

おそらくこんな状況にはならなかった

それなりの資産はあっても

両親がどれくらい生きるのか 

病気や事故で不自由な体になったら

特養ホームの支払い額も増えたら

相続がマイナスになるかもしれない



あの頃は

こんな自覚は無かったけれど

振り返ると自分自身に

自活力を求めたのかもしれない 

誰も頼れなくなっても

困らないようになる為に

それまでの孤独が

両親への依存心が危ないと問いかけて来た

そんな気もする



時代が変わり

社会の雰囲気も変わった

マイナンバーカードが象徴する様に

国と個人の精神的な距離が縮まり

過去に年金などの

社会保障政策の転換によって

救われている現状から



かつての両親への依存を

何となしに社会へと向けるようになり

その安心感が親離れへの助けとなり

10年が過ぎた今



忘れかけていた身内からの

援助の申し入れが母の元へ届き

断った事でこちらにも

金の無心があるかもしれないと

心配をして連絡をくれた事をきっかけに

不意に帰省を思い立った



身内を裏切るような

気持ちになっているのではと思い

それでも生活費を無心するのは

明らかにまともな話では無い


 

聞くと一歩間違えれば

自分が陥っていたかもしれない

前時代的な生活を続けた

その結果のような話だった



明らかに個人では助けられない

けれども身内を見捨てるというのは

おそらく想像以上に苦しいだろう

個人的には人でなしな性格だから

君子じゃないけど危うきには近寄らないを

モットーにしているから良いけれど

両親が同じとは限らないという思いが

この帰省を後押しした



要するに味方である事を

伝えたかっただけ

盆や正月に 

家族や親族が集うように

人が人を思い合い支え合う



十年ぶりに帰省するバスの中で 

なぜか不意に浮かんだあの言葉を

暇つぶしに考えている内に

その行動に至るまでの過程と重なり

人という文字は寄り添う人々の姿を

表しているように思えた



そうだとすると 

あの助けを求めて来た

身内にも寄り添えばとは思う

見捨てるのは人としてどうなの?という 

後ろめたさも付き纏う



けれど常軌を逸した感覚の持ち主は

こちらの都合などは考えない

両親の天寿を全うする為の資金を守る為に

もしもその身内が死んだとしても

そこに見捨てた罪があり

それを背負えと神様が言うのなら

一緒にその罪を背負う事を伝えたかった



両親が亡くなり

その罪を引き継げと神様が言うのなら

そうしようと覚悟を決めた深夜バス

そして十年ぶりの帰省

実家へと着いたのは早朝5時



叩き起こして

朝飯を強請る自分

やっぱり今でも

親不孝者に変わりはないが

それを受け容れる両親も

変わり者だと思う馬鹿息子