有名人の発言が
前後や状況を無視して切り取られて
捉えられ方が真逆になっていたりして
それを批判するのが
日常茶飯事になった昨今
SNSを発端にして
メディアでも同じ事が行われている事が
白日の下に晒され始め
ジャーナリズムが
正義とは限らないと大衆も気づき
これからどう落ち着くのか
しかし考えてみると
そういった切り取り勘違い作戦は
何も珍しい事でも無く
そこら中の人間関係でも
同じように起きている
会話などでも
声の音量を調節したり
間を取ったり取らなかったり
笑顔だったり真顔だったり
その何気ない演出効果を
無意識に感じながら
誰もが参加するのが会話だろう
本質を知りたい側からすると
その演出地味た言動から抱いてしまう
印象が邪魔臭くて
他人との会話に嫌気がさしてしまうから
一人が気持ち良くて閉じ籠もる
言葉尻を捉えて
売り言葉に買い言葉で
罵り合うのが嫌だから黙るだけで
決してその相手の主張を
受け容れた訳でも無いのに
何も言わなかったという事実を切り取って
宣伝されては困る事はままある事
古今東西
それを逐一軌道修正しながら
多くの人々は暮らしている
知らない内にヒーローへと
祭り上げられては気づかずに
勝手にがっかりされて
案外な人という烙印を押されてから
反論してももう遅い
そんな実体験が
無意識の領域で習慣となり
メディア情報を受け取った時に
その話題の誰かの立場や
イメージよって
きっとこうだろうという
決めつけをしては
そこに当てはまらなければ否定する
おそらく
これまでの成功者とは
そんな現実を織り込んで
上手く立ち回る為のTEAMを組んでいた為に
必要以上の負担を背負っていた
国でも企業や協会など
あらゆる組織で物を言うのは雰囲気
その空気を作るのが上手い人間が
その場の支配者となり
知性や理性よりも感性によって
物事が決まるものだから
現在の支離滅裂な決まり事が
数多く作られた訳だろう
SNSという
メディアを超えたネットワークが
言葉の壁をも超えて広がると
自分を取り巻く人間関係とリンクして
急に世界に対して親近感が湧く
この感覚を持ってから
始めて十年ぶりに両親の元へ帰省すると
それまで感じられなかった田舎での噂話が
案外と物事の本質をついていのだと思い至り
少しだけ会話に対する違和感が薄らいだ
彼等は実にリアリストだった
他者の話を半分しか聞かないような感覚
幼い頃は殺すぞと言われても
そんな事は無いと普通に思えていたのに
時代の氷河期に
フリーターをしていたせいか
言葉では表さなくても
仕事を回してもらえなけらば
行き着く先は同じだから
いつの間にか誰かの
顔色を伺うことすら無くなり
諦めの境地へと至り
運が悪ければ死ぬだけと
覚悟を決めて心を削りながら
ただただ日々を生きていた
振り返ると
あの頃はそういった気持ちに陥る
映画やドラマを観ていたし
ニュースすらも演出され
広めるストーリーすら
権力者の意思だったのだから
そりゃ苦しくなる訳だと
妙に納得出来てスッキリした
おそらく誰もが
教室の支配者を意識して
その言動によって
選択を変えた経験があるはず
その空気を読まなければ
大谷級の突飛な能力でもなければ
ハブられるか殴られるか
時代が移り
ゆとり世代やZ世代にも
おそらくそんな感覚に近い
雰囲気の変化があっただろう
そして誰もがその波を乗りこなして
今も暮らしているのだから
無意識の領域で
五感を研ぎ澄ましては六感的に
オートマティックに
会話の針路を微調整しながら
人間関係という修行に勤しんでいる
現実に成否は無く
あるのは未知なるその先だけ
確定した結論だけを
言葉に出して連ねられるなら
おそらくそれはフィジカルAIと
呼ばれる存在と変わらない
スマホやパソコンが
遅滞なく思い通りの結果を出すように
すべての会話やアーティクルが
機械的に世界中を飛び回り
出し手と受け手が出会う機会の数だけ
化学反応を起こすなら
この現実世界もいつかは
空想世界へと繋がるのだろうか