なぜ学ぶのか
その答えは働くと分かる
だったら子供はまず働く事から
始めれば良いのではないか
昔は大方の家で
農家や漁師や猟師といった
家業があって
その家の子どもたちは自然と
親からその家業を習い
少なくとも継ぐか継がないかの選択をして
社会へと旅立つのが一般的だった
次男や三男だと
そうはならなかったかもしれないが
何かしらの役割を与えられ
その責任を果たす事を求められながら
家族の中で育つと
社会へ出てからも焦ることはない
ただ家で
何の役割も果たさずに
社会へ出ると
あらゆる面倒事にいっぺんに出会うから
嫌気がさしてしまうのかもしれない
それまでは
わがまま放題で問題無かったけれど
職場では役割を果たさなければ追い出され
昔の大名の嫡男のように
お付の人に持ち上げられながら
子供のまま振る舞えるような
職場はほぼほぼ無いから
おそらく子供意識など邪魔だったはず
必然な流れは
楽な方へと続いている
その山を登らずとも
何も困らなければその場で
畑を耕し作物を育て
そこが海なら魚を取り
森の中なら
採集や狩猟をして暮らす
楽だと思える事でも
行動は必要で
失敗も成功もあり
そこから次の閃きが生まれる
楽なやり方を選ぶにも
試行錯誤が必要で
素直に先人達の知恵から
選択をしても良いし実践という
実験を楽しんでも良い
たとえ暴君に
振り回されても
その現実がなければ
山に登る事はしない
だからこそこれまでの時代には
度々暴君が生まれ
テクノロジーによる
影響力を考慮する事なく
前例踏襲主義を貫いた結果
二度の世界大戦が起きた
本能に刻まれた
革命を起こす為に暴君を生み育て
そのわがままを利用した推進力
二度の世界大戦から学び
今ではビジネスの範囲に収めて
利用しては革新を繰り返す
本能やDNAと呼ばれる
情報移管によって人類は進化し
便利な社会を創り出した結果
便利が当たり前な世代は
努力をするきっかけを奪われて
家ではペットのように
大切に大切に扱われたのに
学校や職場では家畜扱いをされれば
そりゃハラスメントだ何だと
言い掛かりをつけたくもなるだろう
あらゆる出来事を
擬人化する事に慣れきった現状
知らぬ間に大魔王化された
偉人すらも珍しくはなく
昨今などは文字通り異人が
魔族のように扱われてメディアを
騒がせているのだから
人類の範囲設定すらも狭まりつつある
一方では犬や猫を同族化して
他者を家畜のように範囲外へ追いやる
その感覚の切り替えは
あらゆる物語から作られ
その影響を振り返りもせずに
文化扱いをしては
劣等種を作り出す世界
自然の摂理を捨て
自らの知性を高める事を選んだ人類
しかし宇宙という枠組みから
人類を考えてみると
人体における精子のように
受容体目指して
ひたすらに飽くなき挑戦を繰り返す
DNA超特急と同じ
空も海も人も
宇宙からすると人類にとっての
タンパク質のようなもの
風も雲も雨さえも
細か過ぎて見分けがつかない
知性などは
森羅万象すべてに宿り
効率良く作用する物質によって
より良い変化を生む
歴史や算数を学ばなくても
何も困る事も無く大人にされる社会
一旦大人の称号を与えられると
返却不可になり耐性以上の負荷が掛かっても
家族のようには護ってはくれない
その現実はおそらく
物心つく頃から学んだほうが
抵抗は少ないだろう
気づいた時には学ぶだけの
子供時代がどれだけ贅沢だったのかを知り
後悔するに違いないが
それすら出来ない真人類が多い
本来はたらくとは
人が動くと書いて働くとなる
生活費さえ稼げれば
職業などは何でも良い
結婚や出産
介護や自らの終活と
不安は尽きない
ストレスが無くなることは
おそらく生きている間には訪れない
助け合える仲間が居れば
不安は少なくなり
負担も少なく出来る
だから古今東西ファミリーが必要なのだ
トラブルメーカーから
範囲外へと追いやられるのは
自然の摂理なのだから
振り落とされないようにと
後悔したのなら努力して来なかった分の
苦労を受け容れて踏ん張るしかない
そうならない為の学びの場は
おそらく学校ではなく社会なのだから
まず子供は社会へ出てから
教育機関へと帰還する方が望ましいが
それを現実に起こすのは難しいし
知ってて出来ないのだからもどかしい
そんな現状を
保育施設出身の子供たちが
これから先どう変えていくのだろうと
楽しみにも思う今日このごろ
テクノロジーの進歩によって
人の手からフィジカルAIなどへ担い手が移り
おそらくそれに伴い
社会と資本主義の繋がり方も変わる
人類の労働提供は
必要不可欠から解放され
アミューズメントへと変わるだろう
その予兆として
有名俳優などはもうすでに
舞台へと活躍の場を求めている
その出演作品選びや
稽古中ですら楽しんでは
本番の舞台へと立つ
街中を歩けば
セレブかと思わせるほどの
ファッションモンスターやら
モデルのようなスタイルの人々が
行き交っているのは
もはや現実であり
何も有名人やらセレブにならずとも
そんな存在の真似事は出来ている
俳優や歌手などは専門職であり
元々クリエイティブ業の作詞家や作曲家
美容師やデザイナー等など
それらの職業は一応にして才能よりも
趣味趣向を優先して生きている人々
おそらくこの先の将来
資本主義色が徐々に薄れ
経済の檻から解放された人類は
そんなセレブになるに違いない
働くという概念が変わり
生活費を稼ぐという
生きる糧を得る手段から
自己実現の為の手段に変わる
人が動く事が働く事であり
それはおそらく愉しむ事なんだろう
その感覚が広がる未来に
どんな変化が起きるのだろうか
本当にそんな未来が来るのだとすると
自分自身の好き嫌いに
敏感になっていた方が良い気もする