ただ一人で過ごす事が
孤独だとは思わないからなのか
その自覚が無い
人通りの多い場所や
カフェなどで人々を観察すると
自分と変わらないと思う
二人三脚をするように
腕を組み肩を寄せ合って
家族や同僚
友人や恋人などと
お喋りしながら歩く姿は
独り言を話しながら歩く自分と
何も変わりはしない
要はその話し相手が
他者なのか心の中の自身なのかの違い
協調性など皆無
ひたすら自我欲と向き合った
幼い頃からの習慣を
ひとときも手放さなかった結果
こうなっただけの事だ
悲しくも寂しくも無く
そうかといって嬉しくも無い
ただそれしか知らないだけ
会話のような独り言を
話し始めたきっかけは全く覚えていない
けれどもあえて想像をすると
おそらく母親の真似をしたのが
きっかけだったのではないかと思う
2歳を迎えてすぐに
両親が離婚して
一年ほど間の半分づつを
従兄弟家族と母親の親友と暮し
その後の3歳から5歳になる前までの
2年ほどを従兄弟の家のすぐ近くのアパートで
母親と2人で暮らした
母は一言で言うと
いじめっ子で
幼い頃は近所の子どもたちの
ガキ大将だったと
何度も話していたくらいだから
おそらくはそんな自分の性格を
自覚していたと思う
実際に小学生の頃には
よく怒鳴られたり引っ叩かれたりと
そんな被害にもあった事があるから
おそらくその話にも嘘は無い
ただガキ大将というよりも
いじめっ子の方が個人的にはしっくり来る
自我欲が強くて
我慢が出来ないこの性格は母親譲りで
当然母も働くのが苦手だから
職場という場所で過ごす事が
続かなかったらしく
専業主婦が楽だと思って結婚し
相手に合わせられずに
2、3年で離婚をしたのではないかと
推測している
人好きでお喋り好きで
受け容れてくれる人がいる所なら
おそらく迷わず全国どこでも行くような
アウトゴーイングな一面と
積極的に人付き合いは好まないという
面倒臭い性格で
怖がりだから
限界まで我慢を重ねて
ある日突然に不満をぶち撒けて
その関係性を壊してしまうのも
おそらく母親譲りの性格だ
どんな状況でも
ひとまず我慢をすると決意しては
自我欲の塊だから
決して違和感を放置出来ない
だから経験がある事なら
始めから選択肢には加えないけれど
現実の状況は
パズルピースの組み合わせだから
時には思いもよらない行き止まりに遭遇する
ダンジョン攻略のようなものだから
好きだと思っていたモノの
その一面しか知らずに飛び込んで
他の面を受け容れられずに
苦しむ事がよくあるが
我々の場合はいつだって不意の事故のような
強烈な衝撃に感じては絶望する
おそらくは離婚した時も
そんな感じで先の事よりも
今ある違和感を
手離したい一心だったに違い無い
2つ下の従兄弟が生まれ時で
産後の叔母を手伝う為に
祖父母と母が従兄弟の家で過ごしている内に
おそらく母は幼い頃の暮らしと同じ状況に
居心地が良くなって
口数の少ない夫と幼い子供との
会話の少ない三人暮らしが嫌になり
そのまま離婚したのではないだろうか
思い出してみると
母子家庭の2人暮らしの状況になり
余計に話し相手が居なくて
よく祖母と長電話をしていた
それは再婚してからも変わらない
母と祖母の趣味だった
2人暮らしは商店街の
裏にあるアパートだった
母はその商店街の酒屋で働いていた
家族経営のその店で
品出しなどをしていたと思う
そこのご主人には
よく配達の車に乗せて貰い
一緒に近所を回った
とても良い人で
とても良い職場だったけれど
重い物を持ったりと
一日中動き続ける仕事を
母が気に入る訳もなく
そのストレスを発散するように
長電話を繰り返し
幼い私相手にすらよく一人で
お喋りしていた
母が語るのはいつも
自分の幼い頃から
東京へ出るまでの半生だった
おそらく母の全盛期
3歳から実家を出るまでの
15、6年の間に何度その話を
繰り返し聞いた事だろう
自分の見て来た母と
母の話す母の幼い頃の姿は
いつもぴったりと重なり
何の違和感も湧かない
ガキ大将だったと
自慢気に嬉々として話す
その楽しそうな顔
短大を卒業して養護施設に就職して
同僚と一緒に集団退職した事
その後神戸に出て
程なくして東京へと移住
友達と喫茶店巡りをするのが
楽しかったらしく
同時にお金を貯めて
念願の北海道旅行へ旅立つその日に
友人に裏切られ急に一人旅となり
それ以来一人旅が好きになったらしい
おそらく自分自身の
思い出を振り返る趣味も母親譲りで
そうする事が当たり前だっただけ
思えば長電話とテレビは
母の代名詞になるくらいに
その姿のイメージが強く残っている
2人暮らしというのは
お互いを観察し合う環境で
幼い私には母が鏡に映る自分のように
感じていてのかもしれない
いつの頃からか
母の姿と自分の姿が違う事に気づき
心の中にその存在を植付け
それはまるで植物を
株分けするみたいな感覚で
今でも無意識に自分という存在は
母親の身体の一部であるよう気がしているから
実家で元気に暮らしているのなら
あえて会いたいとも思わない
母に会うと
自分の醜い部分を具現化しているようで
落ち着かなくなるし
その気に入らない感覚を
感情のまま撒き散らしてしまうと
余計に会いづらくなるのが嫌で
もう10年ほど会っていない
しかし明日仮に会ったとしても
それまでの間隔が無かったかのように
違和感無く話すだろうとも思う
誰かと誰かが向き合いながら
または隣合いながらお喋りする姿よりも
母が1人で長電話をする姿のほうが
幼い頃に見慣れてしまったから
一人で語る事が普通だと思い込み
その後の北海道での
田舎暮らしの環境でも
一人が当たり前になって
さすがに人前で独り言を話すのは
止めたけれど
気兼ねなくお喋りするには
一人にならなくては落ち着かず
今に至っているから
孤独を実感出来ないのかもしれない
しかしそう考えると
この感覚は病的なものというよりも
幼い頃に見ていた原風景そのものだから
治す必要も無いのだろう
私にとっては
これが当たり前なのだから