国や民族

愛国心や郷土愛など

何かしらの想いを抱く

生まれた場所や環境へと

こだわりを待つ人が多いのは

なぜかと考える


すると単純に

ファンタジックな答えが浮かぶ

蛇の道は蛇というように

そこに蛇口が

あるからではないか


運氣とは

流れるものらしいから

河原の景色が

上流から下流へと続き

そのどこかで

いろんな流れと合流しては

大きな流れをつくり


やがて広い海へと

流れ出す


照りつける太陽

その熱に浮かされるように

蒸発しては天空に舞い上がり

またその一粒達が

地上へと降り注いでは


浄水場から

各家庭へと繋がる水道管へと

運氣が流れ込み

必要な分量がすべての家庭へと

行き渡らせるイメージ


運氣にもおそらくは

そんな通り路があって

一人ひとりに行き渡るように

幸運の管のようなものが

張り巡られているのではないか


そう考えると

その蛇口のある場所が

家庭であり

ふるさとであり

家族や友人知人と共に

豊かな暮らしを営む為の幸運は

その生まれた場所の蛇口を通して

受け取るのではないか


運氣とは

そういったものだと仮定すると

手を洗ったり

その水で炊いたお米を食べたり

入浴する事も神事のように

ありがたい儀式に感じてしまう


期せずして

生まれた場所から離れてしまうと

その大切な神事を行えずに

幸運が遠のいてしまうのではないか

だからこそ

余所者に対する偏見や反発が

起きやすいのかもしれない


郷に入っては郷に従えの法則

その土地の水に合うのかどうかを

その土地の住人達は

無意識に確かる為に圧をかけて

わざとその余所者へ

嫌がらせをするのかもしれない


今日騒がれている

外国人への思いや考え方の違い

それは数十年前では

都会人と田舎者の対立として

クローズアップされ


グローバリゼーションの流れに乗って

今やそれが他国人へと向けられただけで

その感情的な反発の源は

数十年前の都会人と

田舎者の対立軸と何にも変わらない


他国人が遠く離れた故郷から

運氣の流れを引く為の神事として

お祈りに拘るのも

そう考えると納得がいく


そうしなければ

余所者はその土地の人たちよりも

不利な運気で競わされてしまうのだから

ボクサーが軽量に全集中するように

信じる神への祈りの儀式は

生殺与奪の権利を守る為の

命を掛けたものかもしれない


そう考えると

少しは気が楽になるかな