現実の人間関係が
とてつもなく気色悪く感じて
育ったからなのか
たまたま生まれた時から
部屋の中にあった
テレビの中の人達を
一方的に観る事に慣れすぎて
一人で過ごしていても
寂しさを自覚しなくなった
正確にはいつの頃からか
そう思う事にしているというだけ
だから極端に言えば
何かの作品の中で人を殺した人も
別の作品では殺されたりして
また別の作品では優しい誰かとして
出て来るから
何となくそういうのが
当たり前な感覚として
無意識にあるからなのか
人の形をした何かとして
人間を見る感覚が強いから
目の前にいる人達に対しても
どこか自分とは違う存在として
感じているのかもしれない
通常の人は
一度死ねば生き返りはしないから
当然に自分は死ねば終わり
けれども他者は違う何かだから
死んでも生き返る
一人ひとりの知り合いを
個人として捉えていないのかもしれない
一人の役者が
いろんな作品でいろんな役を
演じているように
目の前の役職者を
見ているみたいな感じ
転職を繰り返しながらも
同じ職業だから作業内容が変わらず
どこの作業場へ行っても
同じ様な性格の人達が
同じ様な人間関係を築いていて
余所者が入って来ると
同じ反応を各自それぞれがして来る
あまりにもそんな体験を
ベビロテしていると個人としてよりも
その環境での
その人の立場や役回りを
何かの現象のように捉えてしまって
後から振り返ると顔や名前は忘れて
その場所の中での
役回りをしていた誰かとしての
記憶しか残っていないから
場所は違うのに
同じ立場や役回りを演じていた
端役の役者のように思い出し
その感覚に慣れてしまって
今では初めから顔や名前よりも
その役回りで記憶するから
あまり人として捉えられない
しかもコロナ禍の影響で
みんなマスクをしているから
顔すら知らないままだから
ますます昔どこかで一緒に作業をしていた
誰かの顔を当てはめてしまったりすると
目の前に居る本人を素通りして
自分の記憶にある誰かとしてしか
意識しない自分に気がついた時
人嫌いの行き着く先が
ここなんだと思った
好き嫌いよりも
自分の世界には自分しか居なくて
それは一人で映画を観ている
そんな感覚
真っ暗な映画館に観客は自分だけ
会話をしなければ
目に映る現実のすべてが
映像と周りの音が
物語のように展開されて行く
毎日が同じ事の繰り返しなのだから
その先に起きる出来事も
すべて知りながら
毎日繰り返し
その映画を観賞している感覚だから
話し掛けられると
暗い映画館の中で知らない誰かに
話し掛けられる感覚で
そちらのほうが違和感になる始末
レジで並んでいる時は
まだ心の準備が出来るから
用意した感謝の言葉を
何とか伝えられはするし
イレギュラーな質問に対しても
たじろぎながらも対処する
しかしそれ以外に
普段はあえて話し掛けられもしないから
たまに誰かと会話なんてしている時は
まるで自分が昨日観た
映画の中に入り込んだような
不思議な感覚に陥る
必要な誰かからの連絡は
大抵メールか郵便で届くから
ますます対面する機会を失い
血筋なのかあえて
こまめに連絡を取り合うような
家族でもないから
便りの無いのは元気な証と
都合良く解釈して
両親ともう十年は会っていない
それが顔も知らない
血縁上の父親の死を知らされ
しかも承継人として
知らないその人の住民税を払わされて
急に両親にもその内に
同じ事が起きるのだと実感して
久しぶりの急展開
のんびり映画鑑賞なんて
そんな気分でも無くなって
自分に関係する人が亡くなると
落ち着きも無くなるのだと
思い知った今日この頃