醜くて奇妙な生き物
その言葉自体に善悪はない
醜いと思うのも
奇妙だと思うのも
その生き物に対しての感想は
個人の感覚だから
どんな風に感じようが
その感性を否定はしない
ただその言葉が
誰かに向けられた段階で
おそらく意味合いが変わり
個人的には
そこに問題があると思う
つまり
誰かとは人間であり
何かとは違う
他者に対して生き物という
呼称を使う場合
個人的には蔑みを感じる
もちろん他者を蔑むのは
誰にもでも起こり得る心の中の衝動だろう
しかし
公に他者に対して
生き物という呼称をつけて
表現するのは
受け容れられない
異世界系アニメを
ヘビロテ鑑賞する私にとっては
獣人を蔑む人族のように思えてしまい
現実の作業中でも
ゴキブリを見るような視線を
浴びながら作業をしているものだから
なおさら生き物というその言葉に
嫌悪してしまうのかもしれない
この国の一番の問題は
他者を蔑む言葉を
ジャーナリストを含む一般国民が
理解出来ない事かもしれない
一時期
その言葉に対しての批判もあったが
醜いという表現に集中して
生き物という呼び方は
完全にスルーされてしまったが
弁護士のような
言葉を扱う専門家の前では
ジャーナリストなど
子供の手を捻るように簡単に
言いくるめられてしまう
同じ言葉を扱う専門職
けれども弁護士とジャーナリストでは
その理解度に雲泥の差があり
それを読む読者に至っては
ただの傍観者に成り下がっている
おそらく
醜くて奇妙な生き物とは
そんな程度の低い国民達の
間接的にとはいえ
その代表者たる総理大臣に
向けられた蔑みとも受け取れ
そう考えると国政政党とはいえども
すべての国民の
味方ではないのだと思い知る
奇妙で醜い生き物に
成り下がった国民などは
この国の国民ではないと言外に
伝えようとしているようにも感じて
少しだけ恐ろしくもなる
軍国主義に戻る前に
戦国時代にでも戻って
隣近所のすぐ近くに居る誰かと
また殺し合うような
そんな世の中へと戻る
きっかけとなる湧き水のように
ならなければ良いと
願わずにはいられない
しかしこの国の
醜くて奇妙な生き物達が
この先の未来に何を選び取り
どこへ向かうのかは
誰にも分からない