古来より人の生活には

多くの動物達の助けが必要だった


鼠捕りの猫や外敵察知の番犬

移動や耕作の動力たる牛や馬

着るため食うための羊や山羊や鶏など

人の生活には多くの動物を

必要としていたのは間違いない


そのような生活環境が

今を生きる人類の遺伝子に

どう影響しているだろう


自動車やトラクターに乗り

移動や耕作をする農業従事者には

その自動化される前の時代では

馬や牛は財産であり

農作業どころか野山を切り拓く

相棒であり希望だったはずだ


羊や山羊や鶏にしても

乳を搾り体毛を刈り卵を食う

貴重な栄養源を提供され

寒さからも守ってもらえる

その当時は

家族の一員だったかもしれない


それらの家畜を含む

家庭を害獣から守るのが

犬や猫であったろうか

外からの侵入者は犬

内側の害獣は猫といった具合に

彼等の役割はしっかり分担されて

その舵を人が取るスタイル


家庭とは本来

それら家畜を含む存在だった


多くの場合

家畜動物の役割は機械化され

それと同時に役割を追われた存在も

家庭からその姿を消した


山羊や羊や鶏が消え

馬や牛も消えた

番犬としての犬も消え

鼠捕りの猫も消えた


役割を失えば

その場所から追われるのは

何も家畜だけではない

都会の一軒家には庭すら無くなり

子供の姿も消えて

もはや中高年と高齢者しか

里山一軒家などには暮らしていない


しかし必然とは

寄せては返す波のように

人の心も三歩進むと二歩下がるようで

か弱き存在を身の回りにおいて

その世話をするという

人の本能的な欲求に答えるように

犬や猫がペットとして帰還を果たした


もはや家庭とも言えない

家族の細やかなその居場所に

小さな温もりを与え

そこで生まれる今は少ない

赤子と共に育って行く


そんな環境で育った赤子も

二十年もすれば人になり

犬や猫に教わったコミュニケーションを

他人にも求めたり与えたりするのも

また必然なのかもしれない


街角のカフェに座り

周りを見渡すと

犬のように笑い合う人達や

猫を撫でるように

隣の人の髪を撫で続ける人と

撫でられ続ける人など

ペットや幼児など隔たりの無い

生活環境で育った若者達が

次から次へと座っては立ち去り

また別の誰かが座り立ち去る


そんな繰り返しを

毎日繰り返し眺め続けると慣れるのか

最初は異様に思えていたその光景が

いつの間にか当たり前になり

それが家庭から家畜が消え

家族が消えて行く過程と同じように思え

進化とはこいう事なのかと思い知る


何もペットと共に育つ

子供達を動物扱いしている訳では無く

その影響を受けながら育った世代は

旧時代の人類と同じ感覚になれるのではないか

つまり家畜と遊びながら育った世代が

ベビーブームを作りその次世代も

同じようなブームを作り出したのだから

そう遠くない将来に同じ事が起きても

そう驚くべき現象でも無いだろう


現状の少子化を問題視するよりも

むしろ馬鹿なブリーダーのように

飼育崩壊を起こさない社会を構築するのが

現状の社会課題かもしれない