インターネットが
一般化される前の時代の受験と
今の時代の受験には
大きな違いが生まれた
それはおそらく出会いだ
それ以前の出会いは
そもそも出会う事自体が出会いであるから
故郷という同じ時代に
同じ場所で生まれることが
出会うきっかけだった
優秀な素材探しは
いつの世でも同じだろう
同じようにする為に掛ける時間は
短い方が良いのはタイパだコスパだと
見苦しく騒ぎ立てる現代にも
受け継がれている
たまたま隣近所の家に
同じに時期に生まれた存在が
幼馴染などと呼ばれ
親兄弟のように思い合う
しかしそんな間柄では
楽しくお喋り出来るとは限らない
何故なら能力が違うからだ
微分積分の理屈が理解出来る人は
出来ない人とは喋れないように
気の合う人には出会えても
解り合う関係になれるとは限らない
感性の違いで
近くにいるからこそ
争いの火種になり
やがて大きな悲劇をも
生むのが出会いの常
受験戦争などいう
言葉とは裏腹に
勝ち抜いた者同士が出会う
教室や校舎もしくは職場には
気は合わなくとも理解は出来る
そんな仲間とは出会えるだろう
理解し合えて気が合うのなら
まさに無二の親友にもなれるかもしれない
選ばれた者しか
入れない場所では
そんな相手に出会える確率が上がる
まさに確率変動は爆上がり
おそらく昭和生まれ世代の
コミュ力はそんな成功体験から
社会へ出てからも
世代を超えて同じ能力を持ってさえいれば
感性が違えど分かり会える
そんな体感があるから癒着し易いのだろうと
思うがどうだろうか
その理屈から考えると
近くの公立学校の教室よりは
受験を経た教室のほうが
雑談をするには
おそらく楽なはずだ
一定の基準を超えた者しか
そこには存在しないのだから
家畜やペットのようなクラスメイトに
出会う事が無くなるから
どこの組織でも選定を繰り返す
結婚相手などを探すのも
その組織や環境の中で
紹介されたり出会った相手のほうが
受け容れられる可能性も確変する
人間だもの将来を考えると
感性よりも理性で選ぶだろうから
無駄な相手に時間と余力を割く必要が無いから
マッチングアプリで出会うよりも
上手く関係を続けられる
可能性は高いと思うのだがどうだろうか
一生の友や連れ合う相手を
心の底から求めるのなら
何らかの試験を受ける事を勧めるが
それで幸福になれるとは限らないから
人生とは難しいもので、、、
ただ一つ言えるのは
自身の本音と出会えると
それ以降の日々は
楽しくなるという事だろうか