なにか気に入らない事や

思ってた事と違ったりすると

無意識に他者の責任だと思ってしまう


その逆だとすべてが

自分の責任という事になる


心の整理が付かなければ

誰かにその重さを

半分肩代わりして欲しくもなるから

言葉にして吐き出したい


その時に感情的な言葉が

込み上げて来て

自分でもよく分からない部分でも

相手の何かしらの言動がそうさせたのだと

自分にも言い聞かせて落ち着く為に

話してしまう事もあるだろう


聞き手の側からすると

まずは落ち着かせる事が優先だから

相槌を入れながら

何がこの激情の原因なのかを

探り出す為にも

出来るだけ否定せずに

その言葉に耳を傾けるかもしれない


その二人の関係性を考えると

おそらくこの話題を繰り返しては

問題を解決したいという

共通認識が生まれて

何度と無く語り合う事になる


話し手は繰り返す内に

気持ちが落ち着き

それに伴い感情と事実を

切り分けられるようにもなるから

聞き手からすると話しの内容の変化に

戸惑う事があっても不思議では無い


その問題が大きければ

大きいほど事実確認が大切だと

常識人であればあるほど

慎重になってしまう


話し手にしてみれば

これまでは味方と思えていた

その聞き手に

確認と称して繰り返し同じ質問を

投げ掛けられると不愉快になり

余計に被害者である事を

誇張してしまうかもしれない


おそらくポイントはこの辺りで

この分岐点のどちらへ進むのかで

解決への近道を行くのか

遠回りをしてしまうのかになる


ここで間違うと

二次的に不愉快になり

元々の不快感が爆発的に広がり

もはや元の問題よりも

むしろ二次的な被害感情が燃え盛り

意固地になってしまう


その感情に任せて

嘘などをつくともうドツボに陥り

三人目以降の聞き手達に

囲まれてしまうと

それが嘘であることも

言えなくなりいつゴールに

たどり着けるのか分からない

長い長い空虚な時を過ごす羽目になる


悲しかったり

悔しかったりした時に

一度でも

被害者認定されてしまうと

その嬉しさのあまり

またその喜びが欲しくなって

次から次へと自分都合な

ストーリーへ誘われて

引き返せなくなってしまう


たとえばそれが

幼い時に両親や保育士についた

嘘であったなら

その非効率な解決方法に

人生を支配されて

常に反対方向への努力を自分自身に

強いられてしまうかもしれない


そんな事を考えると

安易に感情的に語る人の言葉に

同意するのを躊躇ってしまう