初めての一歩を

踏み出した時の事は

意外と覚えているもので

それが成功だったり失敗だったり

楽しかったり悔しかったりと

いろんな思いを抱きはするけれど

その違いに関係無く

記憶の片隅に残り続ける


人生にはそんな出来事が

たくさん起きるから不思議なものだ


たとえばそれは

初めて買ったCDだったり

初めて買った漫画本だったり

興味を持って欲しいと実感してから

手に入れた物には愛着も湧くし

何より手に入れる事が出来たという

成功体験は何度思い返しても

気持ちが高揚する


ただ初めて買った小説だけは

読破出来なかったという

心残りがあるせいか

思い出す度に喉の奥に引っ掛かった

魚の小骨のように残り続け

飲み込む度に痛むような感覚が

ずっと消えずに残っていた


今のように

少し生活にゆとりを取り戻すと

再チャレンジを繰り返し

また読めずに諦め

忙しさの鬱憤を晴らす為なのか

断捨離を行う度に

その本を捨てるという行動を

何度も繰り返していた


そもそも小説なんぞを読もうと思ったのは

中学に入学したのがきっかけだった


小学一年の終わりか

二年のはじめに五つ年上の兄から

絶縁宣言をされた

兄が言うには

自分はもう中学生という大人なのだから

小学生の子供とは遊ばない

だから話しかけもするなと言われ

それ以来本当に疎遠になった


あれほどハッキリと宣言されて

縁が切れた人間関係は後にも先にも他に無く

確かにその日以来

一つ屋根の下で暮らしてはいても

まったく会話すらしなくなった


幼い私は

そういうものなのだと受入れ

そして中学生とは

大人の第一歩目なのだという風に

思い込んでしまったものだから

いざ自分が中学生になってみると

大人にならなければならないという

強迫観念に囚われて

どうするかを考えた結果

漫画は子供の読む物だから

これからは小説を読む事にしようと

決意したのだ


そう決心はしたものの

好きで始める訳では無いから

何を読めば良いのか分からず

仕方が無いから

小学校の時の教科書に出ていた

作家の小説を買って読む事にした


我輩は猫である


授業でも名作だと言っていたから

さぞや面白いのだろうと

古本屋で文庫本を買って読み始めると

まったく面白くなかったから

さっさと読むのを諦めて

今度は走れメロスを読むと

それは読破する事が出来たけれど

あまり面白いとは思えなかった


漫画を読んでいる時のような

すべてを忘れてしまう感覚にはならず

そもそも文字が多すぎて面倒臭い

読書を始めた当初は

そんな感想しか無かった


それでも大人たるもの

漫画は読まないという思い込みが

あるものだからしばらくの間は

漫画断ちを続けていたが

ある時不意に気づいてしまった


アニメを観るなら

漫画も良くね


そう思ってから

また漫画を読み始め

それでも小説を読むという

大人体験も捨てきれず

当時の私が見出した妥協点が

ファンタジー小説だった


RPGゲームのストーリーを

小説にしたような作品が好きだった

ゲームにはまったく興味が無くて

ドラゴンクエストなんて

名前は知っているけれど内容は知らないから

それをモチーフにした作品は

吾輩は猫であるの時のような向かい風は感じず

むしろスラスラと追い風に乗るように

読めるものだから楽しかった


ロードス島戦記という作品に

出会った頃にはもう読書の虜になっていた


ファンタジックな作品の

舞台設定がどこか洋風だからなのか

それに飽きると自然に

外国人作家の作品を読むのが好きになり

ここでも有名作家という理由だけで

ヘミングウェイやヴェルヌの作品を

読んで小説の素晴らしさに酔いしれた


一人暮らしを始めてからは

とにかくお金が無かったから

古本屋の文庫本は貴重な娯楽だった

なんと言ってもコスパが良い

読むのが遅いから100円で買った一冊で

何日も楽しめた


何冊もの小説を読破して

自分が小説を読むのが好きなのだと

思い込むたびに最初の躓きを思い出し

何度と無く吾輩は猫であるを

買っては諦めそして捨てるを繰り返していた


あれほど他の作家の作品は

読めるのにどうしてこうも読めないのか

不思議で仕方なかった

おそらく吾輩は猫であるは

三、四冊購入しては捨ててしまっている


ちなみに同じ作者の

坊っちゃんという作品は

案外スラスラ読めたものだから

なおさら諦めきれず


読まずに捨てるという本は

他にもあるけれど

どうしてか最初の一歩となった

この作品だけは諦めきれないとみえて

三年ほど前にまた購入して

そしてそのまま放置したまま


この三年の間にも

何度か断捨離を続け

その度に何度となく

また捨てることが頭をよぎり

勿体ないという思いと

心残りがそのたびに

踏み止まれと命じたから

そのままインテリアにしていた


そうしている内

この穏やかな日々に

刺激を求め始めたのか

もう一度読もうかと迷っていると

ある日の占いに

何度も失敗している事に

今日からチャレンジしてみよう

みたいな事が書いてあり

それをきっかけに読み始めてみた


もう何度も失敗を繰り返して

学んで来たのだからと

今度は読破するという目標を

達成する為に作戦を立てた


好きでも無い事でも

毎日の日課にして少しづつ続けると

継続日数を増やしたいという欲求が生まれ

それが追い風になると

英会話アプリ習慣から学んだから

その学習の後の日課に加えて

毎日数ページづつ読む事に決めた


あれから一ヶ月

順調に読み続けている

しかも不思議な事に

面白いとすら感じている


あれほどつまらなかった筈なのに

今では毎日のちょっとした楽しみになっている

中学生の時には分からなかった感覚が

心の奥から広がって

ようやく自覚出来るようになったのか

いやいや二十代も三十代も読みましたけど


はじめて読んだ時から

何度と無くチャレンジを繰り返しては跳ね返され

それでもなぜかしら何度も手を伸ばしては

諦め切れずに

ずっと忘れる事も出来ず

心に残り続けた作品を

ようやく楽しめるようになった


面白くなければ

読まなければ良いだけなのに

他にもたくさんそんな作品はあったのに

たまたま最初に読んだ作品という

ただそれだけ

好きで手に取った訳でも無い


名作という作品や

有名作家だってたくさんいる中で

最初に読もうと浮かんだ作品が

吾輩は猫であるだった


中学生の頃に読んでみて

面白くないと捨てたけれど

読書という行為は止めなった

別の作品なら読めたのだ


あの時

別の作品を読むきっかけになり

ずっと心に残り続けていたのだから

おそらくあの頃の自分も

この作品の面白さに

気づいていたのかもしれない


好きになる事は

最初に躓いて実感出来なくても

無意識に心地良いと感じた記憶は

心のずっと奥の方からゆっくりと広がり

半生と結びついて

いつの間にか実感出来るようになる

そんなものなのかもしれない


そんな気持ちに気づくのに

四半世紀近くの時を要してしまう程の

吾輩は馬鹿である