たとえば築五十年のアパートで

その当時の映像作品を鑑賞すると

五十年前にもその作品を観る事が出来る

そんな事は当たり前なんだけれど

改めて考えると

ちょっと不思議で面白い


五十年前の五十歳と

今の五十歳ではおそらく育って来た

環境も違って価値観などは

革命的なタイミングなら

江戸時代と大正時代くらい違うのに

今や同じ空間で同じ作品に

触れ合うことが出来る


その空間がビルの5階なら

その空間は宙に浮いているのだ

もちろん階段やエレベータで

昇り降りをして

物理的には壁や天井に囲まれた

ある種閉鎖された空間だけれども


もしも生物しか

視覚的に捉えられない

何者かからすると

宙に浮いたまま時を超えて

同じ方向を向きながら目を輝かせている

不思議な光景に映るのだろう


しかも時間軸がまったく違えば

人類の捉える5秒間を刹那に捉えて

映像のように緩やかに流れる様を

視界に捉えてしまうと

まるで人類にとっての五十年などは

まったく捉えられずに

五十年前の誰かと

今の自分を同時に捉えてしまい

まるで映画館の隣合う席で

同じ映画を鑑賞しているように

感じてしまうかもしれない


そんな感覚になれるから

古いアパートに住むと面白い

それは個人の

時間軸でも起こり得る


たとえば五十歳の人が

幼い頃に流行っていた作品を

何らかの理由で

知ってはいたけれど観れずに

悔しい思いをした作品を

今になって動画配信で鑑賞する


その人がたまたま貧乏で

安い賃料が魅力で築年数の古い

アパート暮らしをしながら

あの頃憧れた作品と

再び出会ったとしたらどうだろうか


またあの期待に燃える勇気を

この老いぼれかけた胸の中に

再び燃やす事が出来るかもしれない

その熱量が大きければ大きいほど

未来の輝きは増すかもしれない


年齢など意味はない

同じ五十歳でも

親子ほどの感覚の違いが

暮らす環境が違う場合には

あるのかもしれないが

違いがあるからこそ知りたくなって

好奇心が仲介してくれて

仲良くなれる関係にもなれるかもしれない


年を重ねる毎に

体は自由を奪われて行く

しかし人類は社会だ

80億人が映し出すグラデーションは

この先の未来に何を築くのか


それを見ずして

死ぬ事などあり得ない

好奇心の炎は決して消えない

心の内燃機関が燃え続ける限り

未来は永遠に

切り拓かれて行くはずだ


そんな映画を観てみたいし

現実にも不死くらいなら

実現出来るのではないだろうか

例えば自分のクローンに

すべての記憶を移し替えたりして

時を超えた映画好きが

同じ空間を通して繋がり合う

そんな未来が来たら面白い


そんな未来が来る事を

本気で期待する事が出来たなら

まだ幼いあの頃のように

無限に湧き上がる

エネルギーをまた再び

手に入れられるかもしれない