今でさえ人生は
百年時代と言われるのだから
おそらくその寿命は
こらからまだまだ延びるだろう
テクノロジーの恩恵と
人類の融合は可能だろうか
企業が何かしらの作業を
ロボットと人間を選べれば
人手が足らなければ
ロボットを導入すれば良いけれど
憲法や法律で
人間を優先するようにと
そんな決め事が作られたら
おそらくどの企業も南極あたりに
工場を建設して
あえて人間が集まらない場所へと
進出するに違いない
五十年後に
その場所が月面であっても
それほど驚く事でもない
人間とロボットを自由に
経営者が選べるだけにすると
おそらく全員がロボットを
選ぶ事になるだろう
人間一人当たりの
給与や社会保障費と
ロボットのメンテナンス費用が
同じかそれに近くなりさえすれば
考える余地は無くなる
たとえば
一つの作業場に人間とロボットは
共存出来るだろうか
少なくとも今
私の目の前の現実を踏まえると
おそらくその現場の作業員と呼ばれる
人間は働かなくなるに違いない
今ですら
誰かに作業を押し付けるのに
それが文句も言わないロボットなら
なおさら押し付けやすくなる
ただロボットに搭載されたカメラで
監視されるとなると
途端に全員辞めるに違いない
しかし常識や目的が変わると
そんな問題も解決出来る
お金という
ある種の証明書を得る為の行為が
労働であるなら
呼吸をするように生活物資が
手に入るなら証明すら必要も無くなり
必然的に働きたくない人間は
働くという感覚を失い
たとえば暇つぶしに遊ぶ感覚で
何かしらの作業に励むかもしれない
そうなりさえすれば
あえて嫌いな事はしないから
ロボットで監視されても
言われた事さえしていれば良いという
気楽さを手に出来てしかも
楽しめれば暇も潰せて一石二鳥
今ですら街角の清掃作業員は
施設のあちこちに設置されたカメラで
警備係に見られているのだから
雇われている会社の偉い人に
サボっているなどと難癖つけられても
映像を見てもらえれば
そんな事は無いという事が証明出来るからと
気楽に適当な作業が出来ているのだから
それがロボットに変わるだけ
おそらく社会の中身も変わり
人間社会からもっとロジカルな
起承転結社会へと移行するだろうから
見えない部分の証明すら必要が無くなり
コミュニケーション方法も変われば
今の社会には適合出来なくても
未来の社会では解決出来るかもしれない
そう考えると
もう希望しかないし
出来るだけ長生きをして
その幸福感を長く味わいたいという
強い欲求に駆られる