何かをすると

必ず付随してくる人間関係

これがいらない

もう億劫で仕方ない


幼い頃に

経済的に満たされる為にと

母が知らない農家へと嫁入りし

その連れ子として養子に入り

母の思い通りに何も不自由なく

暮らせはしたけれど

気持ちがついて来なかった


愛着が湧かない

実家と家族


居心地の悪い場所から離れられる

ひとときの時間が得られる学校生活でも

教師やクラスメイト達と

関わらなければならないから

また億劫になるだけで

故郷にも愛着が湧かなかった


それが職場に変わっても

あまり変わらない

それどころか面倒事を持ち込まれて

あたふたする始末


子供の頃の夢と言えば

楽がしたかった

勉強も家の手伝いもしなくて良い

誰とも関わらないで暮らせる

そんな世界に行きたかった


とにかく家族や教師は

怖かったし

クラスメイトの感覚とは

違う感覚世界しか知らないから

一緒に居ても落ち着かない


テレビに映る世界観のほうが

面白くて周りにいる人達との関わりは

あまり必要じゃなかったから

ただ一人で過ごしていた


おそらくあの頃の自分が

現在にタイムトリップしたら

何の違和感もなく

受け容れるに違いない


そんな感覚が

可哀想だと言うドラマが昔は多かった


「誰も信用できないなんて、可哀想な人ね」


よく2時間ドラマで出てきたセリフを

現実で親族同士がよく言い合っていて

「わッドラマみたいだッ」と思って

子供心にドキドキしていた


家族や親族同士の争いに

直接巻き込まれる事はほとんど無かった


一番最初に駄々をこねて

しこたま怒られてからまさに誰も

信用する事も無くなったから

言われた事を忠実に守っているように

見せていたおかげで

「こんな子供でも出来るのに!」と


たとえば母が祖母に

そんな事を言われているのを見て

まだそんなところでモメているのかと

嘲笑っていたくらい


最初に駄々をこねた時なら

おそらく何も言わずについて行ったのに

母も必死に数年間我慢したものだから

幼いバカ息子は

その理不尽な生活を受け入れて

再婚同士の両親が離婚をしようが

関係なくそのままの環境を選んで

生みの母親を捨てるくらいに

長いものに巻かれていた


それまでの転機と言われるような

出来事は母親の心変わりから始まるのだと

幼心に嫌気が差して

見事に誰もが嫌な顔をする選択をして

大人達をてんてこ舞いにさせて

少しだけやり返せた気がした


子供心に

母親を捨てるという大罪を犯した

そんな感覚が残り続け

結局は家を出た母親も

その日のうちに帰って来たから

自分でもあまり深く

考えた事が無かったけれど

四十年が過ぎた今でもあの時

自分に掛けた暗示が解けないのか

他者を求めるという感覚が分からない


親兄弟や故郷なんて

ほとんど覚えていないし

ある日突然に出て来た

家族と呼ばれる人達と

クラスメイトとの違いが分からず

会わなければそれきりの関係


そんなつもりでいるのに

年に数回連絡が来るたびに

嫌悪感を押し殺しては

陽気に「もしもし?」と言ってしまう

嘘つきな自分が好きになれない


今の日常に他者との関係など皆無で

それは自分が望んでそうしているから

苦しくも何ともない

職場でも極力触れ合わず

むしろ嫌われているくらいが

相手から離れてくれるから便利


プライベートな時間に

他者と触れ合う機会など作らない


マックに行けば

スマホで注文すれば

勝手に運ばれて来るから

おざなりに「ありがとう」を言うだけ

ディスカウントショップのレジは

アクリル板越しだから気楽に

「ありがとう」が言える


スポーツクラブは

スマホをかざすだけで入室出来るから

挨拶すら必要がないし

それ以外はほとんど自動的に

流れて行くから誰とも関わらない


アプリ越しに

サービスを提供して貰えるから

街を歩いたり

カフェでイヤホンで音楽を聴きながら

眺める人々はもはやヴァーチャル


客観的に見ると 

確かに可哀想とも思うけれど

感覚的には何も問題ない

あとはベーシックインカムなんかが

本格的になるともう死ぬまで

人に会わないかもしれない