銃口を向けられた時が
人か害獣かの分かれ道なんだろうか
銃社会の国では警告を無視すると
途端に人間から害獣へと変換されて
時には撃ち殺されてしまう
今や世界は一つだ
あらゆる国境線を越えて
数多の人種が飛び交う
インバウンドを国家政策に据えて
将来の糧を求める日本なのだから
必然的に外国の習慣や文化を
学ばなければならないのだろう
こちらの文化を
おもてなしの心で提供し
それを受け容れてくれる外国人
ばかりでもないだろう
旅行で訪れた事を切っ掛けにして
留学や就業目的で長期滞在する人も
たくさんいるのだろうから
いろんな考え方や捉え方が
各国ではあるのだと言う事を
知らなければただ対立を煽るだけの
現象を生んでしまうかもしれない
日本ではハラスメントと称して
弱者救済が盛んで
もはや街中ですら暴力を見かけはしないが
外国人も同じ感覚を持っていると
勘違いをして
いつもの様に自己主張をするだけで
殺されてしまうなんて事だって
起こり得るかもしれない
そもそも数十年前までは
日本でも暴力が一般的に振るわれていたのだ
愛のムチや体罰といった
そんな言葉で表現され
フィクション作品にさえも
度々取り上げられながら
社会の中で暴力というものが
実際にやり取りされていた
国家そのものが
他国の軍隊に依存して
守られた社会では
もはや暴力は必要性を失い
罵詈雑言を浴びてさえも
許されなくなった現実
そんな桃源郷しか
知らない世代からは
他国人の暴力的な映像を見て
恐怖というよりも
侮蔑の感情を抱いてしまっても
仕方がないのかもしれない
義務教育機関で
暴力や暴言を極端に抑えられ
仕方なく陰口や正論でしか
相手を攻撃出来なくなっているのだから
必然的に辿り着く答えなのだろう
ただ世界では
軍国主義の思想や
沈黙は敗北という考え方もあって
やられたらやり返さなければ
誰も応援してさえくれない
そんな考え方も存在する
正論を盾に
相手の暴力や暴言を責めるだけでは
おそらく世界では生き残れない
もちろんそれを受け容れろと
言うつもりはないが
たとえ悪気がなくても
もしくはこれくらいでという感覚で
殴られたり殺されたりするという危険が
ある事を知らなければ自身を守れない
国家政策で外国人を
あらゆる手段で受け入れて行く未来では
軋轢を生むのは間違いない
テクノロジーの進歩と
経済主義の終焉がもたらす
無国境な時代が
始まろうとしている
法律と一般常識を重ねて
義務教育から国際的な感覚を
学ばせなければ
言葉で誰かを煽るだけで
簡単に命が奪われる
そんな社会になるかもしれない