日々の暮らしを
一人で乗り切ろうと考えると
最悪の事態を想定して
必要最低限で生活するという
習慣が生まれる
その中にいると
決して安全圏から出ない為
暇を持て余すことになる
そんな毎日を楽しめるなら
それで良いけれど
あまりにも退屈で
何かしらの刺激を求めるから
他人へのバッシングを
ストレスのはけ口として利用し
そのはけ口からの刺激で
さらにストレスを
持って帰って来てしまうのだろうか
言葉の感受性が
あまりに強過ぎると
そよ風くらいの言動ですら
まるで心が痛風のように
痛んでしまう
SNSサイトとは
言葉のやり取りをする場所で
動画や静止画とともに
言葉がセットでついてくる
それは暇つぶしの
雑談のような感覚なのか
誰に向けた言葉ではなくとも
その世界へと放たれ
誰かがまたその言葉のバトンを受取り
主観的に解釈をして
さらにその世界へと放つ
その連鎖の先で
ただ傍観しているだけでも
その言葉の影響を受けて
現実の周りにいる誰かとの
雑談に使う人もいるのだろう
テレビやラジオ
雑誌や新聞などの情報源は
誰もが受け手にしかなれなかった
記者と呼ばれる存在が
ある日突然現れて
何かしらの質問をされない限り
情報の出し手にはなれなかった
そんな記者と知り合えば
まるで広告でも打つように
都合の良い情報を広めさせて
社会への影響力を得ようと
試みた者もいるだろう
ラジオ番組へハガキを投稿して
読まれるだけでも嬉しいのだから
何らかの利益を得るようになれば
なおさら止められない
そんな退屈しのぎを
スマホで簡単に出来てしまう
お金を払いさえすれば
どんな情報も自分の見たい時に
自由に閲覧出来るのが現実で
テレビやラジオの番組も
いつでも配信され
新聞や雑誌ですらデジタルに
配信され自由に読める
たかだか四十年前では
考えられなかったこの現実
でもあの頃だって
「そうならないかな」とは思っていた
そしてそれは叶ってしまった
退屈しのぎに
視聴していたテレビやラジオ
小説や新聞を読んだり
漫画で描かれていた未来に
心を躍らせて夢を見ていた
それが今や
夢なんぞ描かなくても
世界中の人達の感性が飛び交い
スカイダイビングどころか
宇宙への旅すら
実現してしまう人までいる始末
そんな動画を
観るだけで満足して
感じた事を言葉にして
SNSの世界へ放つ
あの頃と同じように
狭い部屋の中で過ごしていても
退屈する暇もない
日々の生活を送るだけで
SNSという狭い世界ではあるけれど
いろんなものを見る事が出来て
いろんな考え方や感じ方を知って
じゃぁ自分はこう思うという
そんな感覚を放つことで
もうストレスも散ってしまう
もう安全圏に閉じ籠もっていてすら
退屈をしないのだから
働きさえすれば最低限の生活費が貰える
この国に生まれた事を
幸運に感じてしまうから
向上心が失われてしまうのかな