二十歳の頃過ごしていたバイト先に
同い年のバイト仲間が作家志望だったり
詩集を同人誌として纏めていた
パート女性の影響を受けて
自分も書いてみたいと思った
楽しそうに話している
その二人の会話を聞きながら
「俺も物書きになろうかな」と
冗談交じりに言うと
良いじゃないかと喜ばれ
「そもそも物書きって何書くの?」と
言ったら二人がかりで
阿呆な私に優しく教えてくれたのだ
ただ気持ちを書けば良いって
そうかと思い
その日ノートを買って帰り
1ページ目を開いたまま
何も浮かばなかった
気持ちってなんだろうって
そんなところから始めた
とりあえずノートと
にらめっこをしていても仕方がないから
たまたまその時に聞いていた
深夜ラジオのDJの語り口を真似て
文字を書き始めたら
自然と未来の自分へ向けた
文章になっていた
そして今読み返すと
まるであの頃の自分と
会話をしている気分になれて楽しく
それが気持ちを文字に残す作業の
醍醐味なんだろうと思っている
いろんな啓発本でも
気持ちを書き出す事をよく進めているけれど
確かに気持ちを可視化する事で
改めて視覚を通して気持ちを自覚すると
まるで気の合う誰かとお喋りをしているような
そんな感覚になるのが新鮮
常に本音を隠して
当たり障りのない答えを
辻褄が合うように話を作るから
そこに時間がかかるから
他人との会話のペースが合わない
一つの質問に答えるのに
数秒考えてしまうと
遅ない頃なら大人達は
考える時間を与えてくれるけれど
クラスメイトとの他愛のない会話では
間延びした漫才みたいになるから
ついて行けなくて
ただオウム返しに話すだけ
一度同調してしまうと
相手にはそんな人だと勘違いされ
ずっとその人の思う自分を
演じ続けなければならなくなって
苦しくなるから
人付き合いをするのが
苦手なんだろうと最近は思う
嘘をつきたい訳じゃない
自分を守る最適な答えかどうかを
ただ確かめてから話したい
物心がついて行く過程で
いろんな人がいろんな言葉で
教えてくれたけれど
こっちの人が教えてくれた事を
あっちの人へ話すと
怒られたりするものだから
そのまま言葉にするのが怖くなった
後になって振り返ると
自分の育った環境が変わっていたから
そのままの気持ちを話すと
変な顔をされても仕方ないとは思う
けれど時にはひどい目にも遭ったから
とにかく相手を怒らせないのが
幼い自分を守る自衛手段で
それしか知らないから
どうしても丁々発止の会話をすると
後になって正確な気持ちではない事を
話してしまった事が
怖くなって後悔してしまう
無理やりペースを合わせても
後になって自分が何を話したのかを
忘れてしまって不安になるし
記憶にないキャラ付けをされて
身の丈に合わないポジションを
任されてがっかりされると
余計に気が重くなるし
会話をして良い思い出がないから
しないようにしていたら
意外と楽でちょうど良かった
独り言だと
誰も傷つけないし勘違いもされない
自分だけの感覚で
会話感覚を味わえる
物心つく過程で身についた
その習慣をあのバイト先の二人に
文字起こしのやり方や
気持ちの表現方法を教わって
今やそれが趣味になった
彼らにだって
嘘をついていたのだ
気持ちを文字で表すと
自分でも驚く言葉が出て来る
そのコントロール出来ない
言葉達から自分の本音を聞くのが
面白くて書き記したログを
読み返すという趣味まで出来て
楽しくて仕方ない
これまで観た
どんな映画やテレビドラマ
これまで読んだどんな小説よりも
感覚に溺れて読める
自分の気持ちというのは
楽しくて悲しくてちょっと切なく
でもとても愛おしい物語なのだ
この楽しさを
二十年以上前に教えて貰って
書き始めたのが切っ掛け
日記ではないから
毎日を綴る訳では無い
ただ出会った何かで動いた
気持ちを記すのが好きで
それを今日も続けてるだけ