人生で自分を褒めたい時と言えば

仕送りを止めると両親に宣言されて

焦りはしたけれど

その時の自分ですら

「そりゃそうだ」と納得はしていた

あの時だろうか


学生ではないのだから

親のすねをかじり続ける資格はない


そんな話を

周りの人に話していたら

アルバイト先の社長にフルタイムで

働かないかと誘われたおかげで

生活環境を変えることもなく

フリーター生活が始まったから

焦った割には事なきを得た


不思議と両親に対しては

当時から怒りよりも

感謝の気持ちのほうが強かった

それほど大きな問題が

起きなかったというのもあってなのか

あの時突き放して貰ったことが

一人で生きて行がなければならないと

覚悟をするきっかけとなった事もあって

今思い出しても

同じ気持ちを抱けている


自画自賛というより

それほど実家や故郷へ戻りたくない

そんな気持ちを強く持っていた


都会での一人暮らしを

失いたくなかった

この環境を知ってしまってから

また子供の頃のようには

もう暮らしたく無かっただけ


生活費を稼ぐという結果さえ出せば

一人で居られるというおまけの報酬が

間違いなく貰える


実家の家から自分の部屋が

飛行機のように分離して

両親から遠く離れた場所に着陸して

その環境で一人で暮らしていた気分を

失いたくなかった

恐怖のない生活だったから


学校を辞めると伝えた時に

小言は言われたけれど怒鳴られはしなかった

それが意外に思えたし

物理的な距離があれば

たとえ激怒されても殴られはしない

そんな気楽さがあったから

嘘をつくこともなく

あっさり退学することが出来た


当時の自分にしてみれば

断捨離だったのかもしれない


ただ要らないものを捨てただけ

いっぱいになったゴミ袋を捨てる感覚で

専門学校を退学して

なんとなくそのまま暮らしていた

そして半年後に仕送りを止められただけ

逆に半年もの間

よく続けてくれたものだと思うくらい


しかも仕送りを止めると

言われるまで何も考えていなかったのだから

どれだけ阿呆だったのかと

今思うと恥ずかしくなる始末


おそらくそれまでは

エスカレーターに乗っている気分だった


小学校が終われば

中学校が始まった時と同じように

高校が終わり専門学校が始まり

両親への恐怖という歯止めが無くなり

簡単に退学を選択出来る環境に流されて

途中の階で降りてしまった

そして初めて自力で歩く事を知り

全く前へ進めなくなった


「あれっ地面が動かない」


運転手のいない電車は

当然動かないということを

感覚的にその時まで知らなかったから

勝手に次の行き先が決まるものだと

ただ半年待っていただけ

ようやく両親が出した答えが

仕送りを止める事だった


その事実を周りの人に話したら

また勝手に気を回して

バイト時間を増やしてくれて暮らせたから

自分では何も決断する事も無く

ただ通り過ぎただけ

また別のエスカレーターに

乗り換えただけの感覚だった


子供の頃の夢なんて無い

ただ気楽に暮らしたいだけ

家族と一緒にいるだけで緊張するから

それをどうにかしたかった


一人暮らしを始めた時は

流石に心細い感覚も味わったけれど

引っ越しを手伝ってくれた母親が

実家へ帰ったその日から

まるでチョモランマの急斜面を

直滑降するかのように滑り落ちて行った


折角エスカレーターで登って来た斜面を

自ら滑り降りる時の開放感はたまらなかった

傾斜が緩やかになっても

まだまだ下があるからと降りていった

そして飽きて登り始めた時に

始めて登る辛さを知り

やっと後悔して自分には

何も持ち合わせが無いことに

驚いてしまった


面白いくらい何もなかった

頼れる人も金も能力も何もなかった


ピカピカに磨かれた床の埃を

かき集めてようやく若さと体力なら

まだ使えそうだと拾い上げ

力仕事をすれば良いとは思ったけれど

辛いのは嫌だからと清掃員になった


あの時両親に

実家へ戻れと言われていたら

おそらく引きこもりにでも

なっていただろうと思う


もしも温かい気候の場所に住んでいたら

簡単にホームレスになっていたに違いないと

いつの頃からか思い始めて

北国で暮らして

真冬の寒さへの怖さがなければ

どうなっていた事だろうと思っては

実はラッキーな人生だったのではないかとすら

今では思っている


恥ずかしいくらいに惨めで

何一つまともには出来ていないけれど

まともな環境で教育を受けさせて貰い

そのチャンスを自ら放り投げて

馬鹿真っしぐらに過ごした子供時代の

結果がもたらしただけの事だと

いつの頃からか受け容れて

仕方ないと嘆きながらも

死にたくないという一心で生きながらえた


それも社会の助けという恩恵のおかげ

ここ数年ようやくそう気づくことが出来て

なんとか社会へ参加出来るようにと

頑張っているものの

なかなか上手くいかないのが現状


それでもまたいつか

この人生の頂へ辿り着きたい

今度は自分の力で登りたい

そのチャンスを喜べている今

変わった自分がここにいる


もしもあの時

両親を恨んでしまっていたら

どうなっていただろうか

あの時点でそうならなかったのは

間違いなくそれまでの環境が

もたらした恩恵だろう


好き嫌いは関係ない

家族も故郷も嫌いだったけれど

その当時は気づいてもいなかった

それが当たり前の日常だったし

そういうものなのだとしか

捉えていなかったから

無意識の我慢が自分を苦しめていた


ただ苦しい感覚に包まれて

嫌な思いをしている時に過ごした場所や

たまたま近くにいただけの人たち

その人たちが嫌いなのか

苦しい感覚が嫌いなのか

境目が曖昧で分かり辛いから

その全体を嫌いだと

判断していたのかもしれない


自分が歳を重ね

鏡を見るたびに誰か分からなくなる

顔や身体は年とともに変わる

自分だと思っていた顔や姿じゃない

誰かが映るように思える


ふとした瞬間

それは母であり父であり

いつか憧れた人だったりする

間違いなく彼らの影響を受けた自分が

鏡の前に立っている


その面影に感謝していると

意識した時の自分を無意識に褒めている

その瞬間だけ

あの頂に立てているのかもしれない