「バカ、心配したんだよ」
なんてまっすぐに目を見て
涙を浮かべながら
そう言われたらどう思うだろうか
その相手はきっと
心の底から心配をしてくれて
ようやく不安から解放され
安堵の気持ちを表したに過ぎない
そこまで心配をするのだから
良い人には違いないが
私はバカと言われるのが嫌いだから
そんな事を言われたら
極端な話をすると最終的に
もう顔も見たくなくなる
偏屈と言えばそうかもしれないが
他人にバカと言われて気持ちが良いだろうか
涙目になるほど心配をしてくれるのなら
「大丈夫?心配したんだよ」のほうが良いだろう
気持ちとは不思議なもので
相手の透けて見える
心配してくれているというその気持ちに
嘘偽りがないであろうと感じても
現実に言葉として表明され
確定されなければ
その時点ではまだ想像に過ぎず
現実に嫌いな言葉を言われてしまうと
その感覚の流れは時間が経てば経つほど
大きな川のようになって
何度も思い返している内に
あの時「バカって言われた!」という
不快感が心の中で
大きく育ってしまうから厄介で
たとえば後になって喧嘩をした時などに
その場の言葉のやり取りが
嫌われているのでは無いかという
疑念を生み悪循環がその疑いを育て
またその次の機会に
いかにも心配そうな顔をされても
実は腹の中では嫌われているのだと
そんな確信に変わってしまう
一人で過ごせるという
心理的な特徴がちょっとした言葉の
ニュアンスに堰き止められて
そこから先へ進めなくなってしまう
それくらい我慢すれば良い
そう自分でも思うけれど
幼い頃にずっとそうしていたら
家族すら受け容れられなくなってしまったから
始まる前の人間関係なんて
もう無意識レベルで捨ててしまう
プライベートな時間に
不快感なんていらないから受け付けない
一人で過ごしている時すらも
体調の好不調の波に揺られて苛つくのに
自分以外の不快感を生む要因となり得る存在など
いないほうが良いに決まってるから
心の底から心配されても
良い気持ちになるとは限らない