人生で三度だけ
百万円を手にした事がある
一度目は5年ほどかけて貯金した時
二度目は生命保険を解約した際
積立てていたお金が振り込まれた時
そして三度目は
その当時住んでいたマンションの
大家に裏切られた時だ
いつ思い出しても腹立たしいその出来事は
今でも昨日の事のように思い出せる
何があったのか
ある日の夜夕食を食べていると
浴室の排水口から
「ゴボッ」という音がし始めたかと思ったら
突然その排水口から水が溢れて来た
その水は狭い部屋を
あっという間に水浸しにしてしまった
およそ十分ほど溢れ続けていた
その間に管理会社の担当者へ連絡して
確認するからと一旦電話を切られ
程なくして玄関のチャイムが鳴った
管理人と名乗る男が
屋上の排水口が落ち葉で目詰まりしていた為
それを除去した際に溜まっていた雨水を
一気に流した為に圧力が掛かりすぎて
一階の我が家の排水口に逆流したのではないか
という説明をされた
そういう事なら仕方が無いが
「水浸しの部屋はどうしてくれるのか」と
聞いてみると
ひとまず他の部屋の確認をすると言う
確かにそれも必要だろうが
だったらまずこの部屋の確認をすれば良い
そう思いつつも
相手も気が動転しているのだからと
「相わかった」と心の中で呟き頷いてやった
三十分程して
管理人と管理会社の社長が
二人で部屋の中の確認をしたいと
改めて尋ねて来たから
招き入れると
「こりゃ酷い」と社長が言った
とりあえず掃除はこちらでするので
今夜はホテルにでも行けと言う
もちろん宿泊費はこちらで払うから
今すぐ予約をしろと言う
待っていた三十分の間に
もうそれは手配していたから
問題はないのだけれど
何か忘れちゃいませんか
心が狭いだろうか
いやでも
「申し訳ない」という一言を
求めるのは狭量だろうか
その態度が納得いかなかったから
頭にきて保険を使うだろうと
偉そうに聞いてくるものだから
何でこちらの保険を使わなきゃならんと
訳のわからないゴネ方をして
後々面倒な事になったのだけれど
とにかくその時は
腹が立って仕方なくて
言われたことの反対を言うという
子供じみた嫌がらせをしてしまった
雑巾で拭く程度の掃除はしてくれたが
排水口から逆流した汚水なのだから
消毒してほしいと言って
後日業者に掃除してもらったけれど
それでも納得がいかず
これまた嫌がらせのつもりで
前々から床の一部が凹んでいたのを思い出し
それを事故のせいにして
引っ越し代を請求するとあっさり払うと言う
四ヶ月分の家賃を払うと言われ
何となく変だと思ったから
散々迷った挙句に引っ越しを止めたら
案の定大家が建物を売り渡し
オーナーが変わると連絡が来た
しかも二ヶ月と経たない内に
新しいオーナー会社から
建物を取り壊すから
来月末までに退去しろと言われ
余計に怒りに火がついた
変わったオーナー会社に
前の大家に床板を張り替えて貰ったが
改善されないのでもう一度床の凹みを
何とかしてほしいと伝えた途端に
取り壊しの通知が来たものだから
尚更腹立たしかった
退去までの期間が短すぎる
そうゴネると
管理会社から委託されたという別会社の
如何にも胡散臭い担当者が来て
これからはこちらが窓口になると言うから
契約書に半年前までに通知しなければならないと
書いてあるのだから
もっと期間を延ばしてほしいと言うと
「契約書にはそう書いておりますが
こちらの都合上致し方ありません」と言うから
何とかギャフンと言わせたくて考えた
すると弁護士が無料で25分間だけ
法律相談の話を聞いてくれるという
相談所をスマホで検索して見つけたから
藁にも縋る思いで
試しに行って相談してみる事にした
話を聞くとやはり半年間は
住み続ける事は出来るとは言われたが
その半年が過ぎると
自腹で引っ越さなければならないから
その権利を放棄して
引っ越し代金を向こうに出させるように
交渉したほうが得だと言う
前の大家もそれを知っていたから
とっとと追い出して
その分を何かしらの理由をつけて
新しいオーナーへ請求するつもりだったのだろう
そう仮定すると
あの時に引っ越しを断って正解だった
確かに「エッ」って言っていたし
ざまぁ見ろだと少し気が晴れた
そうは言っても
交渉なんてした事も無いから
どうしたものかと考えた
放っておいてもその時点で
向こうの決めた期日までに退去すれば
引越し費用は出してもらえる
ただ言いなりになるのが嫌だったから
なんとかギャフンと言わせたかった
それでも引っ越し先は探した
ただアプリに条件を入力して検索をかける
ただそれだけすれば良いから
念の為の準備はしておいた
おそらくはそんな物件は
無いだろうというくらいの気持ちで
都合の良い条件を入力すると
一件だけヒットしたから
不動産屋へ行って
現地の下見をさせてもらい
気に入ったから即決でも良かったけれど
もしかしたら交渉すれば
もっと踏んだくれると欲をかいて
ひとまず保留にしておいた
交渉の目標金額は百万円に設定した
根拠はない
ただ自分の金銭感覚の外側にしなければ
安く叩かれてしまうと考えたからだ
百万円といえば空想に近い金額だ
何を買うにしてもせいぜい高くとも
数万円世界の住人が
ヤクザみたいな不動産やと交渉して
百万円を払わせる物語
どうすれば百万円を
踏んだくれるだろうかと考えると
意外にいろんなアイデアが
出るわ出るわのオンパレード
気持ちはもうナニワ金融道の世界
あらかじめ弁護士に
こういった状況の相場を聞いていたから
権利放棄の対価として
半年分の家賃を協力金としてもらう
家賃が4万くらいだから24万円
まだ目標には程遠い
次に着目したのは床の凹み
事故のせいに仕立てて
一度床板を張り替える工事もしたけれど
改善されないからもう一度請求しよう
上積み10万円
引越し費用が敷金や礼金
前家賃や保険や業者への費用諸々で
25万円くらい
あと40万円足りない
そうだ保険だ
家財保険を請求すれば良い
そう思って前の大家が保険の代理店だから
連絡して大家の側でも保険の査定に来ていたから
あの時も150万円くらいふっかけたら
15万円くらい振り込まれたから
期待したけれど
保険は連動していると言われ
大家の保険で支払われた金額を差し引いた
金額を支払うと保険屋に言われて
10万円くらいの査定額だったから
ゴネて何とか5万円増やしてもらって
15万円になった
思いのほか交渉はスムーズで
弁護士や仲介屋の担当者の助言を
心の支えにして
意を決して不動産屋へ連絡して
こちらの考えを伝えると
次の日に満額回答が得られた
結局百万円には10万円
届かなかったけれど
オーナーの求める期日よりも
一ヶ月前倒しで引越したものだから
前もって納めた家賃も返還してもらって
どうにか95万円くらいにはなったから
案外いけるものだと
自分でも感心してしまった
最初に5年くらいかけて
貯金した時に
一度達成すると二度目は意外と
簡単に手に入るとなぜかそう思い
生命保険の解約の副作用で
確かに労せずに手にする事が出来た
三度目は怒りに任せたとはいえ
色んな事を調べて実行に移した結果
それに近い金額を
手にする事が出来はしたけれど
あまり気持ちの良いものではなかった
ただその時に手にしたお金で
投資を始めて
それをNISA口座に指定して数年
今またその含み益が95万円を超え
もうすぐ百万円になろうかという
勢いで増えている
ブラック何曜日の時には
一度半減したけれど
数ヶ月で元に戻りまた勢いを取り戻した今
改めて思うのは
お金に縁遠い暮らしはおそらく自らが
望んでそうしている節があるということ
無意識のうちに
ゆとりを持つ事を恐れている
頼る誰かやお金があると
怠け心に火がついて
何もしなくなるという心配が消えないから
いつまでも貧乏にしがみついているのだ
ただひとたび
闘志の炎が燃え上がると
自分でも驚くほどの復讐を
やり遂げるくらいの行動力はあるのだ
意志の強さなのか
底意地の悪さなのか
あの時大家が一言でも謝罪をしていたら
掃除して貰った上に
ホテル代も出してくれたのだから
何も言わずに我慢していたはずなのに
そのたった一言が無いという事に
強烈な怒りを覚えたが為に
スマホで何か方法は無いかと探して
無料の法律相談なんかがある事を知り
実際に行って相談してみるという
行動には至らなかっただろう
弁護士というある意味の
上級国民になんて会ったこともないから
緊張したけれど
そんな立派な人に自分の考え方に
問題が無いと言われて安心すると
尚更あの大家の不誠実な態度に
腸が煮えくり返り
必要以上に復讐心が燃え盛り
それを糧として
自分の金銭感覚の殻を破り捨ててまで
追い詰めたい衝動に駆られ
怒りの松明を絶やす事なく
冷静に状況と情報を分析して
目標を定めて計画し
出来る事とやるべき事
犯罪行為になるかならないかに
細心の注意を払い
気持ちが怒りにさらわれないように
コントロールしながら
ヤクザのようなガラの悪い相手と
交渉をするという
普段の自分からは想像すら出来ない
新たな一面をさらけ出しながら
ミッションをコンプリート出来た事が
良くも悪くも自信には繋がった
人間万事塞翁が馬とは
この事かと思い知り
その時は自分の本性が恐ろしくも感じたが
お金を手にして投資をして
また利益が出るという今の状況も何となく
同じ理屈のような気もして
まさに巡り続けているのだと感じる
あの百万円を目指した一連の行為は
褒められた事でも無いし
かと言って悪い事でもない
実際には目標金額にも届いていないから
失敗といえばそうだ
ただ自分の本質にはあれ程にまで
業炎が燃え盛っている事を思い知らされ
この鬼のように強い執着心のコントロールを
間違えないようにコントローラーを
握りしめ直すきっかけにもなった
あの出来事から学んだ教訓を
どんな時も肝に銘じて暮らさなければ
いつまた馬に踏みつけられてしまうとも
限らないから気をつけてはいるけれど
なかなか心の中のじゃじゃ馬を
上手くは乗りこなせていないのが現状で
少し怖くなる時もある