もしも幸福を注げる器があるのなら

持っている器は大きい事に越した事はない

小さければ満たされるのが早そうだから

そちらも捨て難い気もする


大き過ぎると

満たされるまでに時間が掛かるから

それもストレスになる

けれども反対に小さ過ぎると

一度は満たされてもまたすぐに次の

欲求が湧いて忙しそう


本当に気持ちというものが

そういったシステムなのかは知らないが

もしもそうだとすると

自分はどちらを望むだろうか


結局は食器棚を

大きくするしかないのではないか


欲求に限りはない

あれもこれもそれも

あるに越した事はないし

人も物も場所も体験も思い出も

必要な時に取り出して

盛り付けして楽しみたい


食事や睡眠などは

定期的に注がなければならないし

たまには知らない何かにも

突然触れたくなってしまうから

器の数を絞りきれない


器の大きさはおそらく

その欲求に対する執着の強さなんだろう

無意識の領域で求めている欲求の器は

東京ドームにすら

収まり切らないくらい欲張りだから

どれだけ大きな棚でも収まらなくなる


もはや幸福すら

断捨離しなければならない


幸運なことに

未来という不確かで終わりのない

幸福を注ぐのにちょうど良い器を

保管出来るスペースはある

だから人類は知らず知らずの内に

その収まり切らない欲望を収める為に

宇宙を目指しているのかもしれない