昔からよく愛は真心
恋は下心と言われるが
実際どうなんだろうか
個人的に愛と恋の違いは
単数と複数の違いだと思っている
愛は唯一無二であり
恋とは複数存在するもの
そもそも恋という
そのロマンティックな言葉の響きが
本質を見誤らせてしまう
魔法なのではないだろうか
本来は誰かに好意を抱くのに
同性や異性を意識はしない
だからこそ友人という概念がある
異性に向けた好意が恋ならば
同性に向けた好意もまた恋という事になる
けれども一般的な解釈ではそうではない
昔も今も男女間に
友情は成立するのかという問いがなされるが
好意という言葉なら成立するが
恋という言葉に置き換えてしまうと
何となくややこしくなって来る
ゲイやレズビアン
もしくはバイセクシャルなどと
自称する人達でも
すべての人に対して
性的欲求を感じる訳では無いだろう
その違いはなんだろうか
恋と好意には
性的欲求が関わっている
そこに違いがある
お互いに好意を抱きながら
その関係性を維持する対象を友人と呼び
そこに性的欲求が含まれると恋になる
つまり恋という言葉には
性的欲求が含まれているという事になる
そう考えると
恋は下心というのも頷ける気がする
別に悪い訳では無い
魅力的な相手に対して
性的な欲求を感じるのは
自然の摂理とも言うべき感情で
それがなければ子孫は生まれない
つまり恋というのは好意という感情の
一部分であるという事が分かる
だからこそ恋という感覚は
複数同時に存在する事が出来る
二股や浮気などは
誰もが抱ける当たり前の感性という訳だ
愛はどうだろう
その感情が一つなら
親が子に向ける感情は愛ではないのだろうか
パートナーを愛してしまえば
生まれて来た我が子をもう愛せない
そういった事でも無い
そうであるなら
一つでは無いのではないか
おそらく愛とは
その感情を向ける相手によって
形が変わるのではないか
音楽のアーティストに例えると
一人の楽曲でもたくさんの作品があり
その一曲一曲が大切な宝物だ
その一曲一曲に対する想いを
気分という言葉にして当てはめていくと
こちらの曲はウキウキ
あちらの曲はワクワク
そちらの曲にはゆったりみたいに
言葉をはめ込んでいくと
まるでパズルのピースのように
楽曲から生まれる
気分が違う事に気がつく
つまり一曲ごとに
形の違う感情が生まれる
パートナーには□
第一子には△
第二子には〇といった具合に
一人一人に向ける愛の形が違うから
その相手と交わす愛は唯一無二
その一つひとつの愛で
自分が形成されているのではないか
たくさんの相手と愛を交わすと
パズルのピースの数が増えるように
細切れになり
自分の愛の容量が増えれば
より多くの誰かと繋がったり
もしくは一つの巨大な愛を
一人に向ける事も出来そうだ
もしも人の心や体が
愛であったなら
たくさんの友人知人や
それこそ博愛主義の人なら
愛のピースの数を細かくして
より多くの相手と交わし
その一人一人の愛が
その人を作っているのかもしれない
たくさんの人達に愛される
たとえば音楽アーティストみたいな存在は
確かに光り輝いて見える
ただそのアーティストの
自分に向けられる愛の大きさは
それほど大きくはない
それとは逆に家族や恋人などと
交わす愛の大きさは宇宙だろうから
波長が合わなければ
それこそ波動砲でも放つように
強烈なダメージを
与えたり与えられたりする
愛のピースは複雑怪奇
その形は様々で
人によっては数多の愛を
大衆に放ちながら輝くけれど
その一つ一つは唯一無二
恋と愛の違いは
好意と愛の違いであって
好意もまた
愛情の中に含まれているとすると
すべては感情だから
同じものとも言えなくもない