目覚めた時に生まれ

眠りに落ちたら死でしまう

そんな感覚だから

どこか過去の自分を

他人のように思っている


前に書い文章を

後になって読んでみると

「良いな」と自然に思っている


自惚れが強いのかもしれない

けれどそれは本屋の棚から

気になったタイトルの本を手に取って

一文を読んだ時のそれと同じ

一年も前に書いたものなら完全に忘れているから

新鮮な感覚すら抱いてしまう


自分が書いたものだから

当たり前に共感出来る


ただ最近は書きながら

浮かんだ言葉の意味とか漢字を検索して

確認してから書くようにしているから

読めない漢字があったり

言葉の意味が

分から無いことすらある始末


もしもこれが

誰かとの会話であったとすると

自分がどれだけ発した言葉を

忘れてしまっているだろうという事が

気になってしまう


一年前に誰かに話した事なんて

覚えていない

その時たまたま目にしたニュースを

その時の気分で話しただけで

それが自分の信念とは限らないのに

相手にはそういう人だと

思われているかもしれない


周りのお喋り好きな人が

毎日のように同じ話をするのは

もしかすると

理に適っているのかもしれない


ずっとそんな人が苦手だけれど

確かにある日突然

いつもと違うことを言うと

何で?と聞かれて

その質問に答える時に始めて

状況が変わった事に気づく

その為にいつも

お喋りを続けているのかもしれない


そうしなければ

変化に気付けないから


一人で過ごしていると

その変化を自覚出来ないのかもしれない

だから他人からすると

ある日突然

人が変わったように

思われていたかもしれない


よく自己啓発の本などにも

日記をつけると良いみたいな事が

書いてあるけれど

あれも同じ理屈だろう


思いという目には見えないものを

他人に伝える為に言葉を使い

その音に意味を持たせて

奏で合うのがお喋りだから

いつもはただうるさいと思っていた

同僚のおばさま達の話し声も

そう考えてみるとオーケストラの

アンサンブルのように思えてしまう


あまり美しい音色ではないけれど

情報交換や自分自身の変化を実感する為の

ツールとしておばさま方は

無意識に利用しているのかもしれない


独り言だとその実感は得られない

まったく同じ感覚を持った者同士だから

お互いの変化に気付けないから

言葉を音ではなく文字にして残す事は

孤独人の自己理解にとっては

必須条件かもしれない


毎日生まれ変わる感覚を持ちながら

日々の変化には鈍感で

あまりにも劇的な衝撃を受けたら

昨日と今日では

まったく違う考え方になるのは自覚出来ても

小さな変化には気づけていないかった


日記をつけたりして思いや考えを

形にして残しておくと

後になってその足跡を辿る時に

一足ごとの気持ちを

振り返ることが出来るから面白かった


今の自分がこんな出来事に対して

何を感じて何を思ったのかを書き記す行為は

それ自体も夢中になれるし

後になって読むとまた楽しめるという

一石二鳥でお得な遊びだ


書く行為が話し手で

読む行為が聞き手

何の気無しにしている

いつもの独り言を具現化すると

この先ずっと何度も

今この瞬間の自分との会話が出来る

そんな感覚なれるから面白い