おそらくみんな目指しているものは同じで
自分にとっての幸福を夢見て前進する
そう考えると
あとはスピードの問題を解決すれば
案外スムーズに平和が訪れるかもしれない
当然だけれど
無能より有能のほうが早く進む
マラソンランナーが相撲取りよりも
42.195キロを早くゴール出来る
では10キロのお米を食べ切るのは
どちらが早いだろうか
何も一度に食べて
大食い競争をやろうという訳では無い
購入した10キロのお米を
何日で食べ切るのかという話だ
安直に考えると
相撲取りの方が早そうだけれど
マラソンランナーも
カロリー消費が激しい競技だから
食べる量は多そうだ
しかも相撲取りは
一日一食しか食べないなんて事も聞くし
毎日お米を食べるのかも分からない
要するに目指していない行為の競争は
予想が難しいという事
現実はいつだって
何かと比べたがるけれど
幸福になる為にする事だって
おそらく千差万別で
大抵は複数同時にこなしているだろうから
何かひとつに絞って進んでいる方が
何となく速そうな気がする
格差社会に
子供が参加し始めるのはいつ頃だろうか
どんなに頑張っておねだりしても
買ってもらえなかったり
ひどい時には涙を流され謝られたりして
我慢をすることが家族を助ける事だと
思い込んでしまうのが入り口だろうか
そんな子供たちの目指す未来が
安心や安定であっても不思議ではない
そんな子ども達の成れの果てが
今のこの国の姿なんだろうか
格差社会なんて言うけれど
それは一つの価値観を押しつけているだけで
その違いを特徴として捉えてみれば
それぞれの環境や考えによって
色んな選択肢が見えてくるはずだ
速く走りたい人も
お金を稼ぎたい人も
お洒落をしたい人も
沢山の人に囲まれたい人も
打ち込みたい人
集中したい人
誰かに教えたい人
人の目的に限りはないし
一人の目的がいくつあるかも
人それぞれ
才能に恵まれた事を一点集中に突き進む人と
何の才能もない人が
あっちで躓きこっちで躓いたりして進むものでは
徒歩と飛行機くらいの違いがあっても
不思議じゃないし実際にそうだろう
それは何も行動だけの話じゃない
考え方や価値観といったものが
時代の変化とともに
アップデートされた時などに
新たな感覚にスムーズに移行出来る人と
それまでの価値観に
縛られ続ける人にも言える
基本的に進歩というのは
それが何にせよ
必要があるから起きる現象で
おそらくどんな価値観の持ち主でも
それが必然なら抗えない
ただその変わり切るまでの抵抗力の差が
スピードの違いを生んで
あたかも真逆の方向に綱引きしているように
見えてしまうだけで
遠く遠く宇宙の果てから見てみると
なんだかんだ言っても
同じ方向に進んで見えるはずだ
例えるなら新幹線の連結部分を
強力なゴムにして
早い人はどんどん進み
進みたくない人は止まろうとするから
連結部分のゴムが伸びる
伸びれば伸びるほど
全体のスピードは落ちるけれど
止まることは出来ない
そのゴムは決して切れることがないから
限界まで伸びると今度は縮まる力が
大きくなり過ぎて一気に加速する
その加速中の感覚は無重力で
なんの抵抗もなく進んでしまう
今の自分の現実はそんな感じ
自分では変わったつもりは無いけれど
知らない内に大きな枠組みが変わっていて
最後尾集団ごと先頭に引っ張られて
一時だけワープしてる気分
二十歳の時に年金が払えなかったから
老後も働き続ける事が確定して
一生楽は出来ないと諦めたのに
それがたったの2、3年で
バイトでも社会保険加入が義務化され
当たり前のように反発したけれど
抗えずに一時期は残業を買わなければ
生活が出来ずに文句も言ったけれど
それからの暮らしは右肩上がりに良くなった
社会のことなど何も知らず
ただ漫然と生きていただけなのに
社会に助けられ引き寄せられて
いつの頃からか
自分が人であることを自覚した
ロボットや家畜だと思っていたけれど
見えない何かによって進化した
今はそれが社会の恩恵だと
何となく理解出来ているけれど
その当時はまさに
急に向かい風も上り坂も無くなって
体が軽くて走りたくなって
ただただ夢中になって
行けるところまで行こうという欲が出た
おそらく色んなものは
一人の人間みたいなものなんだろう
地球も人類も歴史の流れも
すべて一人の人にたとえると
細胞の一つの一つのが人であり
起きる変化も人で抵抗するのも人
でも流れはいつも
同じ方向にしか流れないから
ただゴムが伸び縮みするだけのこと