占いによると
幸運は人が運んで来るらしい
それは占いというよりも
一般論かもしれない
他人との付き合い方に多様性が生まれ
直接会わなくても意思疎通が出来るけれど
相互通行よりも一方通行のほうが
気が楽だから自然にそちらの方へと
気持ちが流れていく
何かしらの作品を通して
自分が何かを感じて変化する
小説でも絵画でもテレビドラマや映画
ニュースや噂話など
コミュニティの中に居ると
聞きたくなくても耳に入って来る
情報という刺激が
心を通る際に好き嫌いに分かれて
それぞれの置き場所へ保管される
空港で預けた荷物を
ベルトコンベアが運んで行く感覚
膝にチョップすると勝手に反応するみたいに
時には自分でも制御出来なくなる時には
心の流れに逆らっても
なかなか目的地へは近づけないから
まずは感情の流れを緩めなければならない
平常心でいる事が大切だと
何につけてもよく聞くけれど
外部からの刺激によって
鉄砲水のように心は荒れてしまうから
なるべく刺激の少ない環境で
落ち着いて過ごしたい
結局は人間も自然の一部だから
強い個体を次の世代へ残したいのが
摂理なんだとは思うから
自分の子孫を残す必要がない
それでも生まれて来たからには
死ぬまで気楽に暮らしたい
志が低くて社会の力は偉大だから
そんな暮らしは誰にでもできるのに
なぜか他人はそれを邪魔して来る
椅子取りゲームのように
我先にと目の前の椅子にしがみついて
こちらを睨んで威嚇する
そんな人とは
一緒に居たくない
心が荒んでしまうし
居心地も良くない
今の時代の椅子取りゲームは
乗客の少ない電車と同じで
空いてる席も多ければ
優先席や専用席まであるのに
我先にと他人を押しのけて
座るのはなぜなんだろう
資本主義のメダリスト達は
それ以上を求めていないのに
収入は膨らむばかりで
本人たちにもお金の流れは止められない
お金とは何かと言えば
それは約束だ
何かの代わりに何かを差し出す
差し出すものが今は手元にないから
後でこれを持って行きますと約束する
それがあまりにも時間差があって
待つ方の人が
別の誰かと約束する為に
その権利を誰が見ても分かるように
書面にしておく
それは誓約書でも良いけれど
イチイチ個別に作るのが面倒くさいから
何度でも使い回せるお金が出来た
今やお金は
人類の血液のように世界を巡る存在で
一回りする時間は増える一方だから
なかなか自分の順番が回っては来ないから
皆焦ってしまうのだろうか
電車から降りる人が多いから
その流れの強さを勘違いして
早く座る席を確保しなければと
思い込んてしまう
だから我先にと車内に飛び込んで
椅子取りゲームをしてしまう
席を確保してから
落ち着いて周りを見渡すと
空席ばかりで急いで座る場所を
確保した自分が可笑しくて
ちょっと笑ってしまう
思い込みを捨てて
気楽に毎日をやり過ごす
ただそれだけで幸せ
例え誰かに目の前の席を奪われても
落ち着いて見渡せば
空いてる席がたくさんあるから
その電車に乗る時間さえ間違わなければ
苦労する事なく座れるのが今の時代
幸運を運ぶのが他人なら
不幸を持ち去ってくれるのも
他人なんだろうなと思う
今日この頃