人間とはなんだろう
他の動物との違いは歴史だろうか
おそらく意思疎通をする動物はいるけれど
それを伝える能力は人間が優れている
今やその場で会わなくても
会話が出来るのは当り前で
映像や文章で誰でも後世の人達に
自分の考えや想いを伝え残す事も
出来るようになった
人間が苦手だから
動物のように近づかないようにしていたら
誰もが当たり前に手に出来る物すら
使えなくなってしまった
あの頃に比べれば今はすごく便利で
タイムリーに顔を合わせなくても
物事を教えて貰ったり
必要な事を与えて貰えたり出来るし
社会という大きな力が
こんな片隅の一人にも支援してくれる
自分が人間を認識する五感で
拒絶してしまうから近づけない
幼い頃の何かしらの経験で
見た目や声など
無意識に恐怖を覚えたり
嫌悪してしまうから
我慢して付き合わ無ければならないから
その関係を長く続けられない
我慢には限界があるから
始めた瞬間からカウントダウンが始まる
学校や職場は
最悪行かなければ良いけれど
家族となると
数年の我慢ではないから
なかなか目標設定が難しい
だから一人暮らしを始めた時の解放感は
二十年以上過ぎた今でも忘れられない
ホームシックという感覚が分からなくて
ただただ自由だった
自分を知る人がいないことが
嬉しかった
家族から離れると
問題は学校や職場に移った
学校はすぐに辞めたけれど
職場はなかなか辞められない
辞めても別の職場に行けば
また同じことの繰り返し
どこへ逃げても
人間のいない場所は無い
本当に人間がいない場所では
社会の支援も受けられない
そんなものがある事すら知らなかったから
職場にしがみつくしかなかった
今思えばそれが社会の支援でもあった
ここ最近色んな情報に触れて
物事を大きく見ると
氷河期とか失われた時代と呼ばれた時に
起きた出来事や国の政策も
必要な事だったのだと思えるようになった
それは自分が苦しんで手に入れた物は
あの状況でしか手に入れられなかったからだ
崖っぷちに立たされても
少し下に立てる居場所があれば
飛び降りてしまう性格だから
その居場所もろとも
奈落の底へ落とすしかない
一度落ちてしまうと
底辺というのは案外落ち着く場所だった
むしろ少しでも崖を登って
一段高い場所に立てたとしても
また足元から崩れ落ちてしまうかもしれないと
心配をしなくても良い
ここで暮らせれば
これ以上の下はない
あとは死ぬだけ
自分が死んてしまうなんて事すら
考えないから気楽だった
無能力者からすれば
それが自然で
それはある意味動物的で
効率の良い選択だった
腹が減れば食べ
眠たければ寝る
働きさえすれば
幾ばくかの給料を支給されて
生きられた
本来人間は動物だから
家畜にもペットにもなれる
求めるのは生きる事
それ以外の選択肢はある意味必要ない
何かしらの能力者で
上昇志向のある人間からすれば
その存在は動物でもロボットでも
あったのだろう
だからこそ生き残る事が出来たし
何かしら求められた事をするだけでも
成長する事が出来た
若い頃は身体を鍛えられ
これ以上は無理だと判断する
基準が出来た
肉体の衰えを感じて始めて
このままでは殺されるという思いが
違う努力をしなければという焦りを生み
いつもと違う選択肢を選ばせて
ちょうどその頃の社会の変化や
テクノロジーの進歩によって
一度離れた人間との距離を縮める事が
出来るようになっていた
思えばあの頃が
分岐点だったのかなと思う
生活する事に不自由しなくなると
少しづつ視線を上に向けるようになった
崖っぷちに立たなければ行動しないと
大変な事になると学んだから
自分を律する努力が必要だと思った
始めて納得した
結局はこの納得するのが大切で
それがなければ頑張れない
逆に言えば
人間が恐ろしいという理由があるから
頑なに近づかない
どんなに辛くても悲しくても
近づけないから頼れない
だから自分を変えるしかなかったから
変われたし生き残れている
面と向かって人とは向き合えない
大概の人には嫌悪感を抱いてしまうから
それはもう変えようのない性質だから
その無意識を変えるよりも
現実にスマホで何かしらのサービスを
取り込むことで社会とは繋がれるから
それを活用したほうが楽だし
困らないのだから良いではないか
抱き合って肩を叩き合わなくても
人とは共存できる
自分が動物でもロボットでも
人間でも何でも良い
大切なのは心地良く過ごす事だ
それが自分の芯だ
選択肢が提示された時に
決める基準は1つしかない
自分は人間で
人間とはこうあるべきだという
思い込みを捨てて
一つの感情個体になってみよう