最近になって自分が変わることが出来たのか

やっと後悔を実感出来るようになった


幼い頃はあまりにも閉ざされた

人間関係の中にいたから

その人達の影響しか受けなかったから

自分がされたり言われたりする事を

そのまま無関係な人達に対してすると

何度も叱られて拗ねていた


今になって振り返ると

あの頃に犯した罪は大きい


例えば小学三年生の時に転校して

始めて同級生が出来た

それまでの学校では全校生徒が12人しかいない

とても小さな学校だったから

体育の授業は全校生徒で受ける時もあって

ドッジボールと言えば全員参加だった


始めてドッジボールをした時から

全力でボールを投げても誰も傷つけなかった

全員年上だったから

何をどうしても勝てなかったから

ただひたすら全力でボールを投げるのが

当たり前だったし相手の気分によっては

全力でぶつけられていたから

痛い思いをしたくないという思いと

やり返したい気持ちが相まって

ドッジボールと言えば全力でやるのが

習慣になっていた


家族やその学校の人達が話す言葉は

同じ地域に暮らす仲間意識が強くて

親近感があるからなのか

その響きだけを聞くとキツく聞こえたから

まったく親近感がない自分には

馴染めなかくて落ち着かなかったけれど

その言葉遣いは同じになっていたから

知らない人にしてみれば

さぞかし不愉快な思いを

させてしまっただろうと思う


その小さい小学校は2年通って廃校になり

一番近くの小学校へ転校してからは

授業といえば同い年のクラスメイトと

常に一緒というそれまでに経験した事のない

環境に変わったから勝手が分からず

担任の先生も気を使ったのか

上手くクラスに溶け込めるようにと

始めての体育の授業は

皆が大好きなドッジボールにしてくれた


自分の中でドッジボールとは

生きるか死ぬかの戦いで

1年生の時から6年生達の投げるボールから

逃げ惑っていたから同い年の投げるボールを

始めてみた時に勘違いしてしまった


相手のチームの子が全力で投げたボールが

山なりにふわふわと飛んで来る

同じチームの仲間にパスをするみたいに

胸元に優しく投げこまれたボールを

キャッチしたら「すごい」と褒められて

子どもながらに気を使われているのかと

感謝してしまった


こちらとしては実力を示して

そんなに気を使わなくても良いと

伝えるつもりで投げたボールが

相手の子の顔面にヒットして

泣かせてしまった


アレッと思った

パスしてくれたボールを返しただけなのに

なぜ取れない?


ドッジボールは続き

いつまで経ってもいつもの展開にはならない

大体ドッジボールと言えば

自分は試合に関係ない一番最初に

集中攻撃されて追い出され

それから本格的な試合が始まるから

最初しか楽しめなかったから

いつものようにしただけなのに

まるで鬼のように皆を蹂躙してしまった


考えれば当たり前の話だった

高学年としかドッジボールをしたことが無いから

同い年の子の投げるボールが遊ばれているように

感じて腹が立って全力で投げたら

相手にしてみれば見たことのない鬼のような

ボールが飛んで来てびっくりみたいな感覚


悪気はないし

自分がいつも言われていた言葉を話したら

メチャクチャ先生に怒られた

子どもとはいえ今のご時世では

とても許されない言葉

「弱いんだから死んどけ」と

ボールを当てるたびに

全員にその言葉を浴びせた


クラスメイトのみんなごめん

あの頃の僕は人間ではなかった

自分が言われて

忘れられない言葉を他人に言った事を

成長する度に思い出し

無意識の罪悪感が他人から

距離を取らせたのかもしれない