新しい道路が計画から何十年掛けて

やっと開通したらしく

これでまた便利になりますなんて

インタビューを受けていた人も

喜んでいたけれど

これまでの道のりよりも

短縮時間が4分ってどうなんだろう

確かに短縮されているけれど


そもそもニュースに限らず

他人の話しには

その人の感覚が乗っかっているから

まったく理解出来ない時がある


家族や友人を

自分の様に思う人の感覚なんて

経験が無いから取っ掛かりすら

見つけられない始末


愛するとは体が増える感覚で

その相手の喜びも悲しみも

自分の事として共に感じ

喜びは倍増して

悲しみは半減するなんて言うけれど

例えば右腕に対して

そんな感情が湧くだろうか


左足や顎はもちろん

髪の毛なんて何の痛みも感じることなく

美容室に置き去りにする始末


ただ確かに

痛みは放置できない

足の指も

内臓も

身体のどこかに

不具合があると気分が落ちる


経験した事は

他人の言葉でも一旦は受け容れることが出来る

無意識に思い込みが湧き上がって

ああいう事だろうと勝手に決めつけて

でもよくよく話を聞くと

全然違うなんて事もあるから

共感できたという喜びの反動で

余計に痛い思いをする始末


そんな事を何度も経験すると

共感してしまう事にも警戒するようになってしまう


喜びはプラスのエネルギーを生むけれど

それを失った時に

奪われるエネルギー量は時として

立ち直れないくらいのダメージになる

タイミングが合ってしまうと

一生を虎や馬に跨って

逃げ惑う事にもなってしまう


人の感覚は

それまでの経験によって作られて

その思い込みを求めたり

それから逃げたりする


赤ん坊を見る度に

限りなく無に近い頃に

この心の進む方向を決める要素となる

出会いが間違いだらけだったとのだと

思い知らされる


人の感覚は

物心がつく頃に決定してしまう

その時に過ごしていた環境が

人の感覚になるから

多くの人が

その時期には人に囲まれて

過ごしているから

社会という概念が生まれた


一人で居ることは危険だという感覚は

DNAに刻まれた情報で

生まれながらにして

みんなそれを知っているから

赤ん坊も周りに助けを求めるんだろう


運悪く虐げる存在に

囲まれて生まれたら生きられない

成長という未来を手に入れた者は

きっと何かを信じられている

無力でも未来を手に入れられたという

その成功体験が

物心ついた後に目の前にいる人を

信じる原動力になる

だから多くの人は家族を愛して

その体験を通して

その人達と重なる相手を

友人や恋人として選ぶ


会話習慣も

育って来た環境の中で

当たり前にして来たから

自然に求めている

そこからの情報が無いと不安になる

だからそれを提供してくれない人を

嫌ってしまうなんて人も出て来る


物心がつく過程の時期に

マイノリティになってしまうと

その後の人生を

まるで無人島生活でもするような

感覚の中で過ごす事になる


それは不幸ではない

それが当たり前なだけ


不幸なのは

誰もが当たり前に持ってる感覚が無いから

感動を体験しても

それがファンタジーだと

思い込んでいる事


それを自覚しても

無意識は変えられない