知ってしまえば興味が失せる

おそらくこれからは燃えない時代が来る

金持ちのSNSやら動画を見ていると

あぁそういう事かと思う


結局のところ

経済的な自由とは子供と同じ


やりたいと思った事をやって

楽しければ続けるし

楽しくなければ続かない


いろんな習い事の中から

自然と要らないものを捨てると

好きなものだけが残る

また違う何かに出会えば

そちらにシフトするだけ


子供の頃の退屈は経済的な理由よりは

地理的環境だったから

あの頃に移動手段があったら

もっと広い範囲を動き回ったに違いない


世の中のお金持ちが

あの頃の自分と変わらない感覚だとすれば

戻りたいとは思っていないから

自然とお金を遠ざけてしまうのだろうか


あの頃欲しかったのは

安らぎだった

あまりにも自由過ぎて

透明な原子炉みたいな場所から

外の世界を覗いていた

そこから出たいなんて思わなかったから

そういう意味では恵まれていたのだろう


学校でもいじめられもせず

だけど家族に貶められていたせいで

ネガティブになって

他人と関わるのが嫌だったから

好かれて後を付け回されるのと

イラついていた


友達が欲しかっただけじゃない

安らぎが欲しかった

丈夫で透明な場所にいないと

落ち着かなかったし

そこには誰も入れたくなかった


実家から解放されても

わざわざ自分から不便な鳥籠に戻るように

ろくでもない環境で過ごしたのは

そこが自分の居場所だという思い込みだった

気持ちは関係ない

それまであったものと

同じものでスペースを埋めた


時代の恩恵とも言うべき

通信機器を手に入れて

好き嫌いで選ばなければならないと

始めて知っても

なかなか受け容れらなれなかった


受け容れてようやく

自分の本音と向き合わなければ

目的を見つけられないとまた思い込み

ずっと迷路のような選択ミスを重ねて

今に至っている


子供の頃に欲しかったのは

安らぎだとさっきも書いたけれど

なぜかその答えを素通りして

もっと大きな答えはないかと

探してしまうのが悪い癖だと自覚して

ようやく違和感の正体にたどり着いたら

お金持ちになった人は

懸命に長い老後を過ごしているように見えて

あぁはなりたくないと思ってしまった


またお金をから遠ざかるのかと思うと

ちょっと不安にもなるけれど

安らぐ為にはお金が必要だから大丈夫と

理由のわからない慰めを言う始末