夏休みのような毎日を過ごす中で

自分研究に勤しんだ結果

どうやら自分は他人嫌いでも

一人が好きな訳でも無くただ人並み外れて

ストレス耐性がないという結論に至った


過去の様々な体験によって

好き嫌いの基準が決まっていて

無意識に判別している


例えば初対面の人と接すると

見た目や態度

着ている洋服のセンスや言葉遣い

髪型や雰囲気といったものを

瞬時に見極めて判別する


同じ家の中で暮らしていた

家族を嫌っていたから

当時一緒に暮らしていた

祖父母や両親

兄や叔母と同じ世代の人が苦手


その初対面の人に原因がある訳ではなくて

会うという刺激によって

過去の嫌な記憶が蘇り

本能的に危険だと判断して

無意識に遠ざけようとしてしまう


基本的に一人で過ごしたいのは

その刺激から逃げているだけ

その人自体が嫌いな訳でも

一人自体が好きって訳でもない

ただ幼い頃から

そうする習慣が身についているから

今更一人である事に違和感が無い


そう考えると幅広い世代が

苦手なのも納得出来る


三世代プラス叔母さんや

近所の人達がとにかく怖かったため

人から逃げて家畜の温もりに

縋っていたから

必然的に独り言を話しながら

心友としか話さなくなった


一人だから退屈で

テレビで覚えた言葉を使いたくても

周りの人も怖いから近づけない

だから仕方なくいろんなモノを擬人化して

話掛けるのが習慣になった

それ自体はそれほど珍しくもない

子どもの特徴だろう

おままごとをずっと続けている感覚


物や動物に話し掛けても

当然言葉は帰って来ないから

自分で話すしかない

食事の時以外に

家族と顔を合わせる機会もないから

夏休みともなれば

ほとんど一人で喋っていた


流石に小学校の高学年くらいになると

周りから変な目で見られ始めたから

人前ではしないようにしたら

手の爪がガタガタになって

病院の先生にストレスが原因だと言われた


とにかく話をしたかった

喉を動かして声を出したかったから

人目を避けて一人になりたがった


「一人でいつも何しているの?」と

学校ては良く聞かれて

しつこく後をつけ回してくるクラスメイトには

良く困らされたものだ

学校の校舎で人がいない場所

図書室や音楽室

たまに来る用務員のおじさんの道具置き場が

当時のお気に入りの場所だった


一人が好きというよりも

そうならなければ解放出来ないから

まるっきりそんな事には無頓着で

ただただ逃げ回っていた


夜は静寂と暗闇が怖かったから

一人になれなかった

家族への恐怖よりも

夜への恐怖が上回っていたから

仕方なく家族にすがって眠った

そのせいもあって

よく家族には暗闇を使って脅された

昼間でも暗い倉庫や押し入れに

閉じ込められて

よく反省しろと強要された


自分の弱みを他人に知られると

逆手に取られてエラい目に遭うというのは

そこで学んだから

本心を隠すようになった

弱点を攻めされては

ひと溜まりもないからだ


反復練習は

すればするほど上達するから

好き嫌いに関係なく

一人でいる事を常に選んで

どうすれば良くなるのか

毎回出てくる反省点を次の機会に

活かし続けた結果が今だ


どんな本にも

幸福感とは人間関係が大きいと書いている

誰かとの共感は

何にも増して甘美な体験であり

唯一の安らぎをもたらしてくれる


確かにそうだけど

自分には無理だから

無意識にそこから得られる

幸福感の要素を切り分けて

部分的に味わうしか出来無かった

幼い時に温もりを求めて

牛に抱きついたのが良い例だ

自分以外の鼓動を聞くと

心が安らぐ感覚は赤ん坊なら

誰でも知っているから

牛でも感じられると発見した時は

嬉しかったなぁ


とにかく幼い頃は

わがままだと言われたから

怒られるのが嫌で我慢したけれど

ただ基準が分からなかった

人の気分は環境や状況

健康状態によっても変わるから

合われるのが面倒くさい

だから関わりを捨てたかった


いくら波風を立てないように努力をしても

誰かと一緒にいるとトラブルは起きる

それは一人でも同じ

けれども自分にとって

一人はマイホームだから安らげる


例えば機嫌が悪い時

近くに誰かがいると八つ当たりしてしまう

子どもの時なんかは

怒鳴ったり泣かせたり

後になって後悔するのがまた嫌で

だったら一人で良い

誰も傷つけないし傷つけられもしない

なんて便利なんだと

一人暮らしを始めた時には感動した


助けを求めなければ

自由になれた


失われた時代の氷河期世代

地方権力に守られて

学校での努力をしなくても

高校を卒業出来てしまったから

生まれたまま社会へ出たから

家畜に成り下がるしかなかった


そんな事はすぐに受け容れた

そもそも自分を人とは思っていない

あの牛の温もりが家畜である事の

抵抗感をなくしてくれたし

他人に蔑まれた方が

誰も近寄って来ないから気楽だった


朝から晩まで働いて

仕事がなければ呼ばれない

そんな状況でも

働きたくない気持ちは消えないから

運を天に放り投げて

どういう訳か過ぎ去って行った


いつの頃からか

運だけは良い事に気づいて

どうにも解決策が見つからない時は

とりあえず明日を待った

夜眠れないくらい不安になっても

足掻く事すらせずに

死刑台に登るのは

こんな気持ちかと思いながら

朝になるのを待った


明日暮らす金もない時に

万馬券が当たった

心の底から神様に感謝したし

何より嬉しかった

ただその全てが生活費に消えると思ったら

今度は逆にこれじゃ足りないと怒る始末

なんて罰当たりな奴だと自分でも思ったし

最後の数百円を馬券にねじ込む

自分の考え方もに驚いた


考えたらホント自分が好きなんだ

どんな時でもどんな自分も受け容れる


自己嫌悪していた時期もあったけれど

それを今振り返ると

自分で自分を律していた事に気づいて

ちょっと感動した


手元に残った数百円で

馬券を買ってもそうそう当たらない

残りの数十円を親へ連絡する

保険だと考えるポジティブ感に

いつか殺されると思ったから

自分に嫌われる事を選ぶしかなかった


しなくも無いことを

すると決めたのは自分だった

そうしなければ何も始まらない

そんな当たり前の事を知るまでに

数十年掛かってしまった


自分が人でも家畜でも

どうでも良かった

ただ求めるのはより良い環境

それを手に入れるのに

何が必要で何が足りないのか

足りなければ補わなければならない


「どうする?」って自問したら

ひとまずこの環境から

出てみれば良いと答えが返ってきた

怖かった

何も持たない

何の努力もしていない自分が

ただこの場所が気に入らないからと

他所へ行っても

受け容れてくれる場所があるか

分からないから怖かった


ただわがままな性格で

一度思いついてしまった事は

試してみたい衝動にかられて仕方ない

だったら素直になれば良いのに

変に我慢して周りの人に八つ当たりして

その場から離れやすい状況を作って

ようやく逃げるように離れるなんて

自分でもその時は理解できずに

自己嫌悪に陥ったけれど

振り返るとあの時がリスタートだった


思った事を素直に

思い浮かべないように習慣づいているから

素直に思い浮かべられるようになるまで

ホントに苦労した


今でも思った事をそのままは

思い浮かべないから

無意識の領域も努力すれば

変えられるのだから

逆をすれば変えられると

なんでそこはポジティブなんだよと

ツッコミながら理性と感性の間を

取り持つ努力を続けた


買い物に行ってこれが良いと思うと

もっと良いものがないかと探してしまう

同じ店ならまだ良いが

他の店にはもっと良いものがあるかもしれないと

探し歩いている内に疲れて

結局最初に見つけた物にしようと

戻ったら他の誰かに買われた後だった

なんて事が日常茶飯事だった


その習慣が不幸を呼んでいるのだから

変えなければならない

最初に目に止まった物が運命だと

言い聞かせて買うようにした

そうしたほうがあるき回らなくて

楽だと感じてようやく納得する


自分でも捨てたかった

こんな面倒くさい自分を

ずっと捨てたかった

でも捨てられなかった

手足を切り捨てられないのと一緒で

自我も切り捨てられないのだと

諦めるまでに数十年掛かかってしまった


そこに気づいていない時の

自分を振り返るのが好きなんだ

変わった自分を確かめるのが

趣味になった


波打ち際で砂を集めて山を作り

その中にトンネルを掘る

それが繋がる前に跡形もなく

波に流されてしまうような人生だった


家族や故郷を認識する前に

両親の離婚ともに生まれた土地を離れ

数年転々としてから

今の実家へ辿り着いた


都会から田舎へ移住して

しかもそこが北海道という雪国で

家の周りの畑が

一夜にして銀世界に変わるなんて

まさに異世界ファンダジー

それが自分の現実で


当時の感覚では

(うちの子にかぎって)というテレビドラマの

世界感の中で暮らしていたのが

急に(北の国から)の世界感へ飛ばされた感じで

「こんなところじゃ暮らせませんよ」と

ホントに思っていたから

異世界系のアニメを観て

なんでそんなに簡単に受け容れられるのかが

不思議でたまらない始末


あれほど簡単に

異世界での生活を受け容れられれば

自分の感覚を殺さなくても良かったのにと

ちょっと思う今日このごろだけれど

自分には無理だった


何を聞いても話しても

共感出来なかったしされなかった

マクドナルドすら通じないかったから

仕方ない


体験は進む未来の方向を決めるから

あの時に孤独の一本道に迷い込んでしまった

そしてなんの因果か

自分にはその道を歩む為の

精神的なスキルに長けていた


日本の雪国人口は

ざっと2000万人くらいらしいから

多くの人が(うちの子にかぎって)側から

(北の国から)を観ていた筈なのに

それを雪国で見たものだから

あべこべになってこうなった


辛い時期はあったけれど

それは自分がサボったからで

時代が失われたのは関係ないし

氷河の中でだって暮らしてる人もいる

ましてや自分は北海道に住んでるし

この冬の厳しさがなければ

おそらくホームレスになっていたに違いない


人目を避けながら

都会の学校で過ごすなんて

多分無理だったと思うし

そういえば

自分が入学した小学校には

同学年がいなかったから

そこでも一人だったなぁ

そういう意味で

孤独に過ごすには快適な環境で

育つ事が出来た


確かに子供の頃に願った

テレビの世界のヒーローみたいに

誰とも違う人生を歩みたいという

夢も叶っているし

アルム怨爺やスナフキンのように

一人で自由に暮らしても暮らせてる


大きな運を掴みたいとずっと思っていたけれど

振り返ると子供の頃から願った事は全て叶ってる

ただ自分の願い事がころころ変わるから

運勢もついて来られないだけかもしれない


もっと素直に

思い浮かんだ事を願いさえすれば

自分がそれに答えてくれる事は

この人生が証明しているから

何も恐れることはない


善悪の感覚があるなら

遠回りを選択しても良い


理想はその過程でも

理想だけを積み重ねなければ

たどり着けないし

そうしなければ意味がない


ただ単純に願うのは

安心

安全

安定

この三原則が揃っていれば

何をしたって良い

常識なんて始めから無視してるから

今更そんな事を取り入れても

また時間が掛かるだけで意味がない


だったら今の自分が

気持ちいいと感じる事を選びたい

自分に振り回されて

それを立て直してくれた

あっち側の自分を

今度はこっち側から助けよう


すべてのストレスを手放して

無重力な自分はどこへ行くのか

目指すは

欲しいものをすべて手に入れた世界


宇宙には数多の天体があって

その全てに引力があるらしいから

いずれ何かに吸い寄せられる


もしも自分の想いに力があって

それが引力となったとしたら

同じ想いを重ねた誰かには

倍の力で吸い寄せられるのだとすると

その相手は物凄い勢いで近寄って来るのだろうか

もしそうならそんな人を見てみたい