普段オリンピック選手を
取り上げるニュースなんて
まるで無いのに
いざオリンピックが始まると
一勢に取り上げるメディア
オリンピックに限らず
本番のステージというのは
法廷みたいに
これまで費やしてきた
時間や努力の結果が出る場所だから
白黒がハッキリして分かり易い
組織の中で働く人にとっては
これほど分かり易く
泣き笑う事など無い世界に生きているから
その分かり易い結果をネタに
誰かと話ができる良い機会になる
予選敗退なら「残念だったねぇ」
金メダルなら「感動したぁ」などと言いながら
酌み交わすお酒は格別に美味しいし
大勢で集まって応援するのも楽しいのだろう
結局は自分が楽しむ為に
オリンピックがある
世界平和と経済効果が
目的だから主催者側も満足だし
各競技の関係者も
その競技の宣伝になって
選手がメダルを獲得すれば
尚更に宣伝効果が上がるから
この大会に掛ける意気込みも
計り知れない
選手本人も
オリンピックという大きな目標があるから
自分の全力を尽くして努力ができる
力一杯に何かをするのは気持ちが良くて
たとえオリンピックに出場出来なくても
それを目指して努力が出来たという喜びは
おそらく一生の宝物になるんだろう
オリンピックという言葉には
きっとどこかに努力をするという思いが
含まれていると思う
実際に目指さなくても
大変な努力を重ねて出場し
メダルを獲得したという想像は
誰しもが抱くだろうから
ある意味オリンピックは
努力の象徴とも捉えることが出来る
多種多様な競技があって
駆け引きなんていうものが
勝敗を分ける時もある
そこには正義も悪もなくて
ルール違反さえしていなければ
勝てば賞賛される
ルールの中であれば
あらゆる手練手管を駆使して
勝利の為に
尽くして良い世界
なぜ多くの人が
オリンピックに熱狂するのか
それはそこに
正義も悪も飲み込んだ
分かり易い結果が出るからだ
結果を出した選手は
血の滲むような
研鑽の日々を送り続けたんだと
勝手に思い込んで
語り合いそして感動する
その思いの源は
自分の日常から来ているんだと思う
毎日何かを頑張っている人は
その自分の負荷から想像して
オリンピックで金メダルを取るなんて
大偉業を成し遂げる選手は
きっと自分とは比べ物にならない
辛さに耐えて来たに違いない
そんな思いがあるからはこそ
他人の活躍に涙する
おそらく
何の負荷も感じた事のない人には
オリンピックは楽しめない
もしも本当にそうだとしたら
オリンピックで盛り上がれなくなったら
努力をしない人が
増えたという事になるのだろうか
そして大袈裟に騒ぎ立てる
メディアの関係者達は
普段からどれだけストレスを
抱えているのだろうと思うと
ちょっとだけ可哀想になる