基本は学校なんだろう
社会の原点はまさにそれ
どんな組織も
すべての人に共通している経験として
学生時代があり
それを原型に作られていく
テレビなんて
全部学校に置き換えられてしまう
お笑い芸人は面白いクラスメイト
大御所になると面白い先生
NHKのアナウンサーは事務員的で
ワイドショーなんかは
黙ると死んじゃう女子みたい
運動会
学芸会
発表会
全国大会
運動部もあれば
文化系のサークルもある
それは全部テレビでやってる
その影響を受けて
社会は動く
作り手も視聴者も
学校という共通認識があるから
すぐに理解出来るし
分かり易い
しかも番組は勝手に進行してくれる
これも学校の授業の先生ように
進行係が取り仕切ってくれるから
全体の構成なんて考える必要がない
その理屈を理解して真似をすれば
社内の会議なんかでもそのまま使えるけれど
部分的にしか真似ができないと
なんか変な空気になって気まずくなる
なんちゃらブームなんて
これからはもう起こらないだろう
情報の発信源が増えて
誰もが同じ情報を見聞きしない時代
個人がそれぞれの
フィルターバブルの中でしか
泳げないから
別の考え方に出会い辛い
何でも浅瀬で遊ぶには
不便な時代かもしれない
情報の発信源は増えても
勝手に検索回数の多い情報を
集めてくれるから
自然に誘われてしまう
テレビの時代は
大げさな表現だったけれど
今は自分の中の
小さな好奇心をくすぐる情報を
ヘビロテされるから
無意識に流されてしまう
そんなつもりじゃなかったのに
なぜかホテルのベッドいる感覚に近い
きっと学校に通っている時は
こんな感じだったのだろう
教室の中の
何となくの同調圧力を
無意識に感じて
流されていた感覚
授業もホームルームもクラスメイトも
どうても良かったから
その圧力の流れに身を任せていた
そんな事よりももっと切羽詰まった
問題があったのだから仕方ない
世の中が学校なんだと思えば
しっくりする
何かに行き詰まれば先生を呼べ良い
社会の先生役は行政だ
何かあれば
それに頼れば良いじゃない