子供の頃
足りないものは想像で補っていた
遊び相手がいないから
正義のヒーローごっこをする時は
いつも見えない敵と闘い
味方の仲間も
例えばそこらの石ころを
キャラクターになぞらえて
一人何役もこなしながら
遊んでいた
人間が苦手だから
友達が欲しいとは思わなかった
一人で過ごしたほうが気楽で
心を解放出来たから
学校へ通うようになっても
一人で遊ぶほうが好きだったし
それが当たり前だった
学校の授業も遊び方も
子供にとっては大切な情報で
それを手に入れるには
人を通さなければならない
それは家族や友人
学校の先生やテレビなどで
仕入れた情報を元に
自分なりにアレンジして
活用するというのは
大人になってからも変わらない
ただ成長するにつれて
情報のやり取りは不自由になる
思春期の仲間意識や
職場の仲間意識というのは
他人にとっては
とても大切なようで
必要な情報を貰うには
何かしらの見返りを求められる
その感覚が分からなくて
情報弱者になってしまい
自覚の無いまま
社会へ出てしまったものだから
かなり一般常識からは
外れた人生を送る事になった
一人で暮らすと言えば
それほど変なことではないけれど
誰とも関わらないと言えば変な人だし
相手からすると
ちょっと怖いかもかもしれない
そもそも常識外れの
環境で育てられて
他人と共感出来ないから
興味も無くて
思春期の頃からは
映画やテレビドラマ
小説や漫画といったものからの
情報しか取り入れなかったから
かなり偏った感覚を持ってしまった
今思えば
人付き合いが苦手だから
間接的な人付き合いをしていただけで
自分の感覚では
それがごく自然な選択だった
ただそんな人間だから
職場ではなかなか馴染めず
本音と建前というのが
分からずに苦労した
なぜ仕事であんなにも嘘がつけるのか
まったく分からなかった
できない事をできると言うから
後で揉めるのに
それが最初から分かっているのに
嘘をつく上司の後始末の残業は
今でもトラウマだ
それでもそんな職場から
離れられなかったのは
テレビで就職氷河期なんて言われていから
何も無い自分が他所へ行っても
誰も相手にしてもらえないと
思っていたからだ
実際に職場の上司にも
そう言われ続けていたから
余計に怖かった
あの頃だって
情報過多と言われていたけれど
自分には無縁だった
新聞と言えばスポーツだし
テレビでもニュースなんて見ていない
ドラマとバラエティから入って来る
情報がすべてだったから
それらに振り回されるばかりで
将来のことなんて考えたこともなかった
三十歳を過ぎてから
それまでは頑張れば体力がついて
肉体労働でも続けていれば
去年よりも同じ作業が楽になったけれど
成長の限界を感じて始めて
新たな不安が生まれた
このままこの作業は続けられない
そう感じた時に
それまでやって来た作業で
これからも続けられそうなのは
どの作業かを考えた
そもそも清掃作業員と言えば
おばちゃんのイメージだから
その作業をすれば良いと思った
年上の女性ができる作業なら
自分にも出来る筈だ
けれどそれだと暮らせる給料が貰えない
パートで働く女性は
生活を担っている訳じゃないから
給料が安くても関係ない
むしろ退屈だから働くみたいな人が
結構多いから
一人で暮らす給料が必要ない
そんな人達と同じ職場では
生活出来ないから働けない
仕方なくそれまでの職場で
働き続けながら
どうしようかと考え続けた
発想力がないから
ゼロからはなにも生まれない
しかも世相を取り入れた
ドラマや映画を観てしまうと
余計に不安を感じて
焦ってしまう
そんな悪循環が数年続き
とうとう肉体の限界の前に
精神的な限界を超えて
職場をを辞めてしまった
その当時は
まだ携帯電話すら持っていなかった
面接に行くと
「今どき携帯を持っていないなんて珍しいね」と
よく言われた
話す相手がいないから
必要なかったし
家電のほうが安かったから
選択の余地は無い
21世紀になったからと言っても
何も変わらないと思っていた
それまでの常識から
図らずも飛び出してしまったせいか
とにかく焦っていたし
やっぱり携帯電話を
持たなくてはならないと
思い込んで契約してしまったら
会社携帯を持たされて
ガッカリした
電話代の支払額が跳ね上がり
今の職場の給料では
生活出来ないからと別の職場を
探していたら運良く
いつか自分が抱いたイメージ通りの
清掃作業の職場があって応募した
五十倍という難関を
見事に突破して採用された
思えばあれから生活が安定した
その職場には5年ほど居ただろうか
そこでの安定が自分を成長させてくれた
それまでは時給だったから
出勤日数が少なければ
給料も少なくなっていたから
月給という魔法のような
給料形態が信じられなかった
給料日に貰える金額が
始めから分かるって何て便利なんだ
こんな世界がこの世にあるなんて
自分も出世したものだと感激した
フリーターだから
一つの職場に限定しなくても良いけれど
とにかく働きたくなかったから
仕事がないと言われると
給料は少なくなるのは知っていても
休みになるのは嬉しかったから
そのまま休んでしまう
そのせいで
毎月の給料日は賭け事染みていた
支給額が一ヶ月暮らせる金額なら当たり
暮せなければ外れ
貯金なんて無いから
外れたら何かしらの支払が滞る
けれども外れたのは一回だけだったかな
生活のゆとりは
心にもゆとりを与えてくれる
週休2日の月給制
なんて素晴らしい生活
定期預金なんてものも始めて
穏やかな毎日を過ごしていた
ただを掃除するには
少々過酷な場所で
すすきのの雑居ビルだったこともあって
まるで動物園の掃除をしている気分
この時ほど実家で牛小屋の掃除をしていた事を
感謝したことはなかった
それほどそこでの作業は
嘔吐と糞尿との闘いだった
いつしかこの場所から
離れるのが目標になっていた
酔いつぶれた人間のいない場所の掃除なら
もっと楽なのではないかと思ったからだ
始めて携帯電話を手に入れるには
時間がかかったけれど
スマホに変えるのは早かった
いろんな検索が出来るようになってからは
どんどん転職した
こんな職場もある
あんな職場もある
見つけたら行ってみたくなるから転職した
どこへ行っも
すすきののビルに比べれば綺麗だった
掃除なんて必要ないとさえ思うくらいに
そして今に至る
一時期
正社員雇用もされたけれど
結局は組織で働くという事は
仕事を押し付け合うだけで
あまり役には立たないから
非正規という無責任な立場の方が
気楽に働けて都合が良い
二十歳になる頃には
年金なんて貰えないと諦めていたのに
気がつけば
もうかなりの期間支払っている
一度諦めてしまったから
幾ばくかでも貰えると思うだけで
幸運に感じられる
その支給金額の分だけ働かずに済むわけだから
二十歳の自分に「世の中案外甘いぞ」と
教えてやりたいし
自分を手放さないでくれて
「ありがとう」とも伝えたい
少なくとも自分は
環境に合わせて行動する
たぶん無意識にそうしてる
決断をするには
情報が必要で分からないというのが
一番怖いから
それを打ち消す材料が欲しくなる
けれどそれさえあれば
逆に挑戦はしやすくなるもので
飛び降りたつもりが
反動がついて思ってもない
高い場所へ飛んでしまう
なんて事もあるかもしれない