自分の感性を受け容れるのは

意外に大変で

感覚の殆どは無意識だから

それがどんなに小さな事柄でも

受け容れられなかったり

または受け入れないほうが良いという思いが

頭をよぎっても無視をしてしまう事もある


選択基準とか

好きとか嫌いという感覚とか

習慣づいていることを

意識的に変えるのは

勇気と根気とゆとりが必要で

例えばいつもは選ばないメニューを

あえて選ぶ時には

遊び心や好奇心の流れに乗るという

行動が必要で

そのきっかけは一緒にいる人だったたり

動画で見たからだったりするけれど

その選択をするのはどんな場面でも

自分だから

たとえそれが気に入らなくてもという

リスクを冒してまでも

それを食べたいのかを考慮して

瞬時に判断している


食べ物のメニューを変えるにも

言葉にすると一大事のように感じる訳だから

実際のところ

生活習慣や休日の予定を

決めるなんてだけでも

相当な労力を費やしている筈


自分が大きいと意識出来ている

決断をする時には緊張もするし

恐怖や不安が付き纏って

無意識に安全確保を

優先してしまうと思う

それをあえて危険だと思う方に行くには

欲望とか野心

期待とかワクワク感がなければ

なかなか踏み出せない


ダイエットのように

毎日カロリー制限やトレーニングを

続けなければならない事なんかは

その都度小さな決断で

嫌な方や面倒な方を

あえて選んで

しかも行動しなければならないから

それは途方もないエネルギーが必要だ


ただ何となく選ぶにしても

無意識下ではしっかりと脳を使っている

少しでもエネルギー消費を節約するために

習慣という自動選択装置を稼働させて

数多の選択をしながら今日も暮らしている


人生を変える決断とか

成功者になる為の習慣を身につけるなんて

おそらく意識的には出来ない 


今の自分とは日々の生活の中で

小さな違和感を気まぐれに

受け容れられる瞬間だけでも受け容れて

少しづつ感覚を変えていき

その積み重た過去の上に今があって

もしかしたら過去に自分が

選ばなった未来を何かを通して

認識できる機会があって

そこで初めて自分の変化に気づいたり

あの時を振り返って

違う選択をして良かったと思えるだけで

特別に何かが変わった訳では無いのかもしれない


子供の頃に両親が離婚して

暫くの間いとこの家に居候していた

おそらく2歳とか3歳くらいの時で

3つ年上のいとこが伯父さんの事を

お父さんと呼んでいるから

それを真似してお父さんと呼ぶと

「俺はお前のお父さんじゃない」と言われるのが

当たり前のやり取りで

言葉の意味はよく分からないけれど

その言葉のやり取りが面白くて

何度も繰り返し呼んでいたら

ある時酷く怒鳴られて

「俺はお前のお父さんじゃない」と怒られた



自分が大人になって

上手く行かない毎日を過ごしている時に

不意にその記憶が蘇った時に

もしも今目の前に

幼い他所の家の子供がいて

しつこく話し掛けてきたら

怒鳴りつけてしまうだろうと思った


あの時の伯父さんも

こんな感覚だったのかもしれないと

思って申し訳い事をしたと思えたけれど

当時はただただ怖いと思っただけで

それからは近づかないようにしていた


居候という変わったシチュエーションしか

知らなかったし

自分にはどうしてお父さんが居ないのかと

聞いても誰も答えてはくれず

何となくお父さんというのは男の人で

お母さんが女の人だとは理解していたから

家の中の男の人は一人だっから

お父さんと呼んだけれど

違うの言われから

単純にそうなんだと思った


言葉を覚える最中だから

周りの大人には

いろんなことを聞いてみた

家族って何?と幼稚園の先生に聞くと

同じ家に住んでいる人だよと教えてくれたから

叔母さんに家族だよねというと

違うと言われ

「アンタの家族はお母さんだけだよ」と

教えてくれた

そうなんだと思った


一緒の家に住んでいても

家族じゃない人もいると教えられ

そしてそういうものなんだと思った


母親が再婚して

今の実家へ養子へ入ったときに

新しい家族が出来た

新しいお父さん

新しいおじいさん

新しいおばあさん

新しいお兄ちゃん


実際色んな人が

今日からみんな家族だと教えてくれたから

良かれと思ってその間違いを指摘した

「一緒の家に住んでいても家族じゃないし

僕の家族はお母さんだけなんだよ」って


最初はみんな笑っていた

けれども数日

数週間と時が経つに連れて

この子は変だと思われるようになった


最初に教わった事を話しても

それは違うとみんなが言う


そういうものなんだと思った

みんな違うのだ

何を言っても伝わらず

何を聞いてもこの感覚が

分からなかった


家族という違いのある人たちから

お前は年齢の割に幼いから

しっかり教育しなければいけないからと

距離を取られるようになり

5歳を迎える頃には

誰も抱きしめてはくれなかった


その温もりを感じるだけで

幸せになれたのに


幸い近くには

動物がたくさんいたから

よく牛に抱きついたり

猫を抱いたりして

幸福感に酔いしれていた


広い家の中で

一人で遊ぶのが普通だった

近くに同じ年頃の子供は居なかったし

大人もどこかへ行ってしまうから

誰もいない

家の周りは畑ばかりで

その向こう側は山に囲まれていた


牛小屋で幸福感を味わい

飽きると家の周りを探検し

暗くなる頃家に戻る

大人に何かを話すと

大抵は怒り出すから

黙ってご飯を食べて寝た


あの時犬でも飼っていたら

自分も犬だと思い込んだかもしれないと

後になって一人で妄想して笑った

一人笑いの鉄板ネタだった


小学校へ入学したら

新入生は一人だけだった

全校生徒が十二人の小さな学校で

2人の2年生と同じ教室の複式学級で

九九を聞きながらたし算や引き算を

一人でしていた


同じ教室で勉強するから

クラスメイトと言えばそうだ

けれど新入生は入学当初

暫くの間は早く下校するから

家に変える時はまた一人だった

そういうものだと思った


保育園のほうが

まだ同い年の子供がいたから

遊び相手がいたけれど

小学生になるとまた一人

その頃になると

もうその環境に慣れてしまって

誰かと何かをするのが億劫になっていた

そもそも家族という怖い存在に囲まれているから

一人にならないと気が休まらなかった


学校で家族の作文を書いても

嘘をつくなと怒られるから

家族の正解を求めて幼いながらに

テレビで学んだ


アーノルド坊やは人気者とか

うちの子にかぎってというドラマが好きだった

脚色された感情しか知らないから

周りの人とは理解し合えない

また怒られるのも嫌だからと

表現することを諦めて

ひたすら顔色をうかがい

これは問題がないのだと安堵する度に

この面倒な作業はいつまで続くのかと

絶望したものだ


それでもお陰様で

そんな幼少時代に描いた夢は

失われた世界の底辺生活でも

叶えることが出来た


子供の頃の夢は

とにかく一人になりたかった

自分以外の存在に気を使わずに

気楽に過ごしたい

家族も

友人もいらなかった

職場の知人は必要でも

休日にはいらない


都会での生活で

困るのは温もりがない事

幼い頃は牛や猫が与えてくれた

あの幸福感だけは

思い出に浸るしか無かった


都会の洞窟のような

六畳一間のワンルーム暮らしが

子供の頃の夢だった


田舎は嫌だった

何となく落ち着かない

住宅街の空気感が好きだったし

田舎の家は広くて

自分の居場所といえば六畳もあれば充分

しかもそこにシンクも

トイレも風呂場まであるから便利だった

鳥かごのような小さな部屋で

インコにように自分を飼う

家畜になりたいという夢も叶え

ペットという上位種に進化までした


社会が変わり始めたのは

いつ頃だろう

清掃作業員と言えば人間ではない

そんな事を言う人もいたけれど

人間なんてなった事がないから

なんで当たり前の事を言うのだろうと

不思議に思ったくらいなのに

いつの頃からか人間扱いをされ始めて

「今更冗談じゃないよ」って思った



フリーターという響きに憧れて

仕事なんてしたくないし

責任なんて持ちたくない

ただその日を暮らせれば良い

「宵越しの銭は持たねぇ」という

江戸っ子気質がそうさせたのか

夢は叶えてしまったしバイトさえしていれば

生きて行く事も出来たから

もう後は死ぬまでそうするつもりだった


年金も払っていないから貰えない

妙にその覚悟があったからか

死ぬまで働く事だけは受け入れていて

健康だけは気をつけていた

保険料も仕方なく払っていたのは

そのせいだった


ある意味そんな平和な日々が

アルバイトでも

社会保険へ加入しなければならないと

決まったあたりから急に

人間扱いをされ始めて 

何かしらの事を学ばなければならないと

思い始めた


そう言っても

何をどうして良いのか分からずに

ずっとイライラしていた

三十歳になって

親からもういい歳何だからと

言われる度に人を意識し始めた


自分が人間であるのか

動物なのか植物なのかなんて

関係なかった

自分は自分でそれ以外は

自分じゃない


清掃作業員を始めてしっくり来た

健康には気をつけたいし

太りたくもないから

体を動かしたかったし

実際に動くと気持ちもよかったから

それはそれで良かった

若かったから動けば動くほど

体力もついて感覚的には楽になった

どんな場所でも咲いている

タンポポみたいに生きて行けると

本気で思っていたのに

ある日突然

報告書をパソコンで作れと言われ

「それは人間の領分でしょ」と

言って逃げ回ったけれど

どこへ行っても同じことの繰り返しで

仕方なく学ぶことにした


パソコンやインターネットなんて

スペースシャトルくらいのファンタジーだったから

どうして良いのかわからないから

まずはパソコンを買うために貯金を始めた

今振り返っても

この行動が動物ったなと思う始末


仕方なく学ぶことにした

これがキーワードで

それまでの自分にはない選択だった

何かを取り入れるというのは

ここから学んだのかもしれない


学ぶということは

誰かと関わることだから

ようやく人への領域に

足を踏み入れた気がした


ネットワークが発達して

スマホで検索するようになって

情報入手の革命が起こり

あとは現実が自分を勝手に変えていった

出会いが運命である事は

これで証明された

何かを知ると疑問が生まれる

だからまた調べたり

他人に聞いたりして確かめてから

結論をだして決断する


考えてみると

言葉を覚え始めた頃に

している事と変わらない

子供の頃は素直だから

確かめる工程が無いに等しい

それだけに結論もすぐに出るし

決断にも勇気を必要としないから

思い込むのも早い

あの頃焼き付いた感覚からは

多分もう逃れられない


ずっと変えようとしていたけれど

そこにエネルギーをつぎ込むより

受け容れたほうが良いのかもしれない

自分が何者なのかなんて

もともと関係なく過ごしていたし

時代も変わり

生物だろうがロボットだろうが

なんだって良いではないか

 

タンポポでも牛でも猫でも

ロボットでも自分は自分

それが人間であっても無くても

自分でしかいられない

ただそう思うだけで良いんだ