思春期を迎えた頃

クラスメイトと家族の話しをすると

衝撃的な違和感があって

これは自分の本音は話せない

話してはいけないと思った


周りの人たちは

当たり前に

生まれた家で家族と一緒に

暮らしている


田舎だし

農業や漁業を筆頭に 

自営業の家も多いから

大多数は一軒家で

三、四世代の大家族も多かった


生まれた家で育ち

育った街から離れることも無く

思春期を迎えた彼等の

感覚がまったく理解出来なかった


他人と一緒に暮らすのが

当たり前だったから

家族意識なんて無い


母親の再婚相手の

実家暮らし

5歳になる年に養子に入ったから

よく他人には

ホントの家族と同じだろうと

言われ続けたから

自分でもこの感覚が当たり前

家族とはこういうものなんだと

幼い頃は思い込んでいた


他の人と同じように

家の中には

おじいちゃんとおばぁちゃんがいて

お父さんもお母さんも

お兄ちゃんだっているから

見た目に変わりはない

だから家族に対する

恐怖心も同じだと勘違してしまった


友達とはいえ

家族の悪口を言う彼等を

勇者だと拝めた時すらあった

あんな怖い存在の悪口を

話してくれるなんて

この人はどれだけ自分を

信頼しているのだろうと

驚いたりもした


もし回り回って

家族の誰かに影でこんな事を

話していたと知れたら

殺されると本気で思っていたから

誰にも家族の悪口なんて言えない

そんな自分からすると

悪口に限らず気軽に

家族の話しをする彼等の感覚が

分からなくて

周りのクラスメイトが

全員勇者だと思っていた


参観日に家族の作文を

発表なんて

全部嘘を書くしか無いから大変で

本当のことを書くと

そんな事ある訳ないと

先生に怒られるから

子供ながらに当たり障りない

内容にしたいけれど

何が違うのか分からないから

よくテレビドラマのワンシーンを

適当に書き散らかしていた


最近はいろんな形で

海外のニュースを見れるし

海外の人達の暮らしを

知ることができるけれど

あまり違いを感じない


結局

世界のとこで暮らしても

そこで暮らす為に必要なことは

全部揃っている訳だから

よその環境を知らなければ

どんなに貧しい場所でも

幸せに暮らせるだろうと思う


移住する前にその環境を知って

憧れてから行けば

たぶんどこでだって暮らせると思う

行ったこともないけれど

どこの国でも

都会なら違和感なく暮らせるじゃないかな

人付き合いをしないから

買い物さえ不便なく出来れば

今とそうは変わらない


逆に海外の人達の家族観は

自分には理解出来ないけれど

それは今でもそうだから

違和感なく過ごせそう


今は盛んに

世界中の選挙のニュースが

報道されているけれど

自由主義とか社会主義とか

もうそんなのは対立軸になっていない

すでに世界は一つになっていて

一人ひとりの主張なんて

情報源の違いが対立軸になっている


プロパガンダなんて言うけれど

学校教育は良くて宗教は良くない

西側の考えは良くて

それ以外は良くないみたいな

話しを聞いていると

結局自由って何なんだろうと思う


すべての国や民族や宗教の

教えが駄目ではない

けれど自分が受け入れなれない

感覚は否定する

受け入れられないなら

受け入れなければ良い

ただそれを否定しても感覚だから

折り合えない

だったら

ほっとけば良いのにと思う


個人的に幼い頃から

見た目には他人と変わらずに

家族の中で育ちながら

まったく違う感覚で過ごしていたから

話す言葉も育った環境も違う

そんな外国人同士が分かり合うなんて

難しいと思う

お互い頭が良ければ

理解することができるだろうから

もう頭の良い人に任せて

分からない人とは付き合わないほうが

世界は平和になるかもしれない