一人で過ごすのも能力

何の目的もなく

誰かと一緒に過ごす能力がないから

許容範囲が狭い

他人に対して不寛容になるのは

多分そのせいだろう


自分が困っている時に

助けてくれる存在は有り難いけれど

助けてくれたらそれで終わり


例えば職場の同僚

役割を果たしてくれる限り

嫌いな人でも

付き合わざるを得ないけれど

その我慢出来ない時もある

だから職場を

転々しなければならない


職場での人付き合いすら

ストレスだから

余計にプライベートは

一人になりたい


何も他人を必要としていない訳じゃない

ただ一緒にいたくないだけ


人付き合いは

サービスを通すくらいが

ちょうど良い

お店の店員さんとか

アプリの運営会社とか

目的を達成する手助けをしてくれれば

それで良い


仲良くなりたいという欲求よりも

揉め事に巻き込まれたくない

思いのほうが強いから

関わりたくない

幼い頃は夜の暗闇が怖くて

親にすがりついていたけれど

その恐怖心を乗り越えると

必要ないからすがりつくのを止めた


たぶんそんな感覚が

今も続いていて

幼い頃も問題がなければ

一人で遊んでいたから

元々そんな性格なんだろう


一人で過ごせるから

人に対して妥協しない

喧嘩をしたくないから

その場から離れる

考え方はシンプルで

嫌いになったらもう顔も見たくない


話し合うなんて無駄

だってまったく譲るつもりが無いから

不安だったり怖くても

相談なんて出来ない

弱みを知られて

そこを攻撃されるという

恐怖があるから絶対に知られたくない


親がそういう人達だったから

そういう思い込みが生まれた


無警戒に思いを話すと

罰として嫌いな事をやらされたから

嫌いな事を勘違いさせれば

罰でも嫌いな事をしなくて良い事を知ったから

本心を隠すのが癖になった


一人で過ごすのは

自然だけれど

好きな事や嫌いな事を

隠すのは面倒で

話に花が咲くと隠したい事も

ポロッと話してしまうから

周りに人が多ければ多いほど

会話をするのが怖かった


その人には知られて問題なくても

他の人に話されて悪用される

それが怖いから話したくない

その感覚の源は家族や学校


みんな多かれ少なかれ

自分の親兄弟を悪く言うけれど

本音ではそれほど嫌っていないどころか

照れ隠しのような感覚で

話しているから

まったく感覚が噛み合わなくて

特に中学や高校の頃は

戸惑ってしまった


でもその頃の周りの人たちとのズレに

気がついて初めて自分が

家族を嫌っている事に気づけたのも事実で

その気持ちを打ち消そうと

していたけれど

結局消えることは無かった

これ程が自分が嫌っている

苦手にしている事を受け入れるのに

二十年は掛かった


愛は尊いという

物語がしかないフィクションに

影響されたから余計に遠回り

我慢して一緒にいれば

その内受け入れられるという

アドバイスしてくれる人もいた


確かに一緒にいる時間が

長くなると

自然に親近感が湧く人もいた

ただ何年か一緒に過ごすだけで

なんで親近感を抱けるのかが

分からない


基本的に減点方式で

他人を見ているせいか

長く一緒にいると

いつかは限界を超えてしまう

たぶんなんの気無しに我慢してしまうから

預金とは逆で

知らず知らずのうちに

マイナス感が溜まっていて

意識し始めたらもう嫌っている始末


いつの頃からか

人付き合いは諦めた

家族とも距離を取り

会わないようにした

良いか悪いかは分からない

でも欲求のない事は

やってもストレスだから止めた


何かを理由に

誰かといたいと思う人には

勝てないから

なるべく一人で出来る仕事をしたい

そうすれば争う必要もないから

その場所から離れなくて済む


どうすれば不寛容のままで

生きられるだろう

特別な才能も持たずに

わがままいっぱいに

暮らす方法はないだろうか


今はまだ

幼い頃と同じ生活をしている状態

子供の頃の自分を

今の自分が子守する感覚

振り返ると

面倒な人付き合いを

しない為に努力して来た

頑張れば頑張る程

一人になれる

それがご褒美だった