感謝が出来ない
そんな人間を誰が信用するだろう
そう思いはするけれど
実は全く感謝が出来ない
何かしらの良い事があると
ラッキーで終ってしまう
レジに並んで
レシートを受け取る時に
ありがとうとは言うけれど
そこに感謝の気持ちはない
仕事でミスをして
手直しをしてくれる
上司にも
すいませんとは言うけれど
そこにも感謝はない
そんな気がする
感謝をしなければならないとは
思うけれど
自然に込み上げては来ない
その理由は一体なんだろう
そもそも
嘘をつくのが嫌いだから
思ってもいないことを
相手に伝えるのが嫌だ
でも
何かをしてもらって
お礼を言うのは当然だから
その意思表示として
言葉を伝える
けれど気持ちは伴わない
感謝の気持ちを伝える事と
感謝の気持ちを抱く事は
目的が全く違う
伝える事は相手の為だから
伝えるけれど
気持ちは自分の問題だから
そこに何も無い事は
分かってしまう
感謝の気持ちの力は
知っている
若い頃バイトの面接で
ちょっと気を使ってくれた
社長の一言に感動して
その後の数年間
家畜のように扱われても
充実していた
ほんの些細な感動が
何年もの地獄を耐えうる
力の源になっていた
宗教や詐欺に
傾倒する人の気持ちは
何となく分かる気がする
その時に欲しい何かを
提供してくれたら
例えそれが嘘でも心は動く
弱っている時なら
なおさら大きな感動を生む
結局
感謝と気持ちだから
感動しなければ
抱けない感覚たんだろう
長く生きると
日々の出来事に慣れすぎて
心が動かなくなる
理屈では分かってるつもり
この毎日の日常も
どこかの誰かのおかげで
成り立っているし
自分を尊重してくれている
この社会も有り難い
だからこそ
心の底から感謝をしなければとは
思うけれど
感情が湧き上がって来ない
それが物足りない
そんな事を考えていたら
不意に自分が言葉過敏だと言う事を
思い出した
そうだ言葉に出してしまえば良い
独り言で構わない
ただ感謝しますと口に出す
そうすると不思議と
有り難いと思う気持ちが大きくなった
感謝をしたければ
行動あるのみ
ありがとう
そう呟くだけで気分が良いから
その内心も動くだろう