外国の映画を観ると
食事の時なんかにお祈りをしている
それを観た影響なのか
子供の頃は常に
不安感を抱えていたから
毎晩
夜になるのが怖くて
その日一日の罪悪感の言い訳を
しなければ落ち着かなかった
何かが襲ってくるのではないかと
いつもビクビクしていた
すがる相手も
コロコロ変わるから
その人に対しての
言い訳もしていた
例えば
母親の場合は
寝返りをして背中を向けても
嫌いなわけじゃないと
毎晩唱えていた
本人に言うわけじゃなくて
布団の中で神様に向かって
お祈りしないと落ち着かなかった
大抵の場合
思い通りにならないことが起きるから
神様に裏切られたような気持ちになって
信じるのをやめたくなる
けれど
夜の怖さの前では
例え嫌いな相手にだってすがりつく
それほど夜が怖かった
何でそれほどまでに
夜が怖くなったのかといえば
わがままを言ったら
お化けが出るぞと脅されて
ものの見事に
信じてしまったからだ
何か分からないものに襲われると
本気で思い込んでしまったものだから
何かにつけて不安を感じると
それが恐怖へと直結してしまう
夜が怖いのは
暗闇で周りが見えないし
悪いことをすると
お化けが出るぞと言う言葉が
不安につけ込んでくるし
どんな姿なのかは
テレビで見た怖いものの姿を
思い出して更に怖くなる
大人にしてみれば
うるさい子供を
たしなめる為のちょっとした
イタズラみたいな言葉でも
本気で信じる子供には
致命的な不安感を与えた
社会に出てからも
その不安感はつきまとう
未来は確定していないから
常に怖かった
何があるのか分からないことが怖いから
ずっと立ち止まっていた
車の運転が嫌いなのも
その考え方と同じで
教習所で
「かもしれない運転をしなさい」と言われて
アクセルを踏めなくなった
いつどこから
何が飛び出すか分からないから
常に準備を怠るなと言うけれど
「それじゃ運転しなけりゃ良いじゃん」って
思う論理
思えば子供の頃や
若い頃に上の世代の人から
教えられる事って
ふるいに掛けられていたんだと思う
競争相手の多い世代だから
その壁を乗り越えた者にしか
ホントのことは教えない
何かしらの理由で諦める人にまで
関わっている余裕が無かったのかもしれない
時代が変わり
人口減少社会が顕在化したから
ふるいに掛ける必要がなくなって
すくい上げなければならない
世の中になったおかげで
色んな人が色んな事を教えてくれる
そんな今の時代は
子供の頃と比べると天国だ
暗闇を怖がるように
未来に不安を覚え
何も出来ずに
誰かの言う事に従った日々も
自分の成長には欠かせなかった
はじめから助けられてしまうと
自分では何もしないという選択を
多分して思っただろうから
それも救いになった気がする
夜の暗闇で怖がりながら眠る
そして朝目が覚めて
今日も無事に夜を乗り越えたと
ホッとする
そんな成功体験を
何年も続けていると
いつの間にか
夜は怖くないことに
気がつく
その時に思うことがまた
面白いけれど
その話はまた今度にしよう